2015/10/15 (木)
仲人のおばちゃんが亡くなり、急遽トンボ帰和。
もう、こういう場でしか顔を合わせなくなった昔の遊び仲間。兄の年代の面々。 「戻ってこいよ〜」
出棺を見送っているとき、後ろから肩を叩いてくれた近所のおねえさんも。 もちろん、いまはおば(あ)ちゃんです。
だが、階段ですれ違った時に、「○○ちゃんかぇ?」と声をかけてくれた同年代らしきお方。 見覚えのある顔だったのだが、だれだったのか?
さて、このおばちゃん、まさに会葬御礼に記されているようなお方だった。 亡母とはひと回りくらい違うのだが、亡母のことを「ネエさん、ネエさん」と呼び、家族して親戚以上の付き合いだった。 わたしがまだ中・高校のころだったか、入院している父に母が付き添い、兄と2人の時があった。 そんなときメシの心配までしてくれ、「ごはん食べたか〜? まだやったら待ってなあよ」と。
結婚してからも、わたしらが帰省するのを聞きつけると、海老フライが大好きな女房どのために、 大きな海老を届けてくれていたり、手づくりの寿司やらかきまぜご飯を届けてくれた。 季節には、紀州の果物が届いた。 親も兄もなくなると、「うちへ泊まりなあよ。2階、おまはんらのために掃除しといたで〜」。
大きな声の、とにかく紀州のおばちゃんやった。
合掌。
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(2) 帰宅して改めて読むとまた胸が熱くなる。 捨てられない。
(3) 阪和線くろしおから紀の川下流をのぞむ。 向こうの橋は、六十谷(むそた)橋。 右手が、華さんが九度山から、紀の川の流れに逆らわずに嫁入りした六十谷。
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