「あのとき子どもだったのにな〜」
2015/03/14 (土)

kumori.gif □〜15日 熊本・七夕会
恋のしずく

羽田に向かうべく適当な時間の電車に乗る。
きょうは北陸新幹線・金沢まで開業と同じくして、これまで上野止まりの常磐線が品川までつながった。
たまたま来た電車が品川行。
ついでだから、このまま「上野−東京ライン」とやらを経験してみるか、
と浜松町でモノレールの予定だったが、そのまま品川まで。
品川から京急利用。羽田への京急利用、これも初めてかな?
「上野−東京ライン」はそれが目的らしきオタクが目につく。
動画を撮りながら音声を吹き込んでいるボンボンがいたり、
品川駅のホームで「ひたち」を見つけては感動している親子がいたりで…。
まあ、確かに品川駅に「ひたち」は異様に感じる光景だはあったが…。

熊本は何年ぶりだ? 
いちばん最初が、高校2年(そんな時代があったんですね)の修学旅行。もちろん、夜行の修学旅行専用列車の時代。かろうじて、寝台だったような記憶が…。
水前寺公園は中に入ったようだが、熊本城は石垣の下を通っただけ。
それと、阿蘇、天草だったかな? 

2回目は仕事。30年ほど前か? 
ちゅうか、会議とパーティー。このパーティーで山鹿灯篭おどりが披露され、その神秘さに感動したのを覚えている。
1泊して翌朝には帰京。

3回目は15年ほど前の再春館パーティー。
冠ゴルフの前夜祭を兼ねていて樋口久子やら涂阿玉やら…。
さらに野外のオープン料理は、これまた当時一世を風靡した「料理の鉄人」らが勢ぞろい。
それはそれは派手なパーティーであった。
この時もトンボ返り。

昼過ぎに熊本空港に着いて市内までバス。
途中、大規模なソーラーパネルが目に入ったが、そこが再春館だった。
水前寺公園でバスを降りて、いわゆるめしやで昼飯を食う。
卵焼きが売りらしく迷わず注文。家で焼くようなごく普通のあつあつの卵焼き。
和歌山にいるころは、「何でもソース」で、卵焼きにもソースだった。
それが、結婚してからは、かけない(正確にはかけさせてもらえない)か、せいぜい醤油。
ここは、迷うことなくソース(ウスター)をかけて、子どものころを懐かしむ。

腹が膨らんだところで、水前寺公園とその周辺を腹ごなしに歩く。まったく記憶の景色がない。
参道で「いきなり団子」(これは川越で初めて食って、うまいと思った)を食って、公園内を一周。

そして、ジェーンズ邸やら、夏目漱石住居あとへ。
ジェーンズ邸は、色こそ違うが外観は新島邸にそっくり。
そのことを「ようこそおいで下さいました」と迎えてくれた館長らしきお方に話すと、「新島邸よりずっと大きいです」と。
大河ドラマ「八重さん」にも出てきた、「熊本バンド」の面々が学んだ熊本洋学校の教師ジェーンズ氏の邸宅だったところということで、
西南戦争では西郷軍征討総督有栖川宮熾仁親王の宿舎 となり、日本赤十字が誕生した場所でもあるという。

こういう歴史は興味深くおもしろい。じっくり見学する。

そうこうしているうちに時間が迫り、予定の熊本城には行けず。
ホテルのチェックインがすまないうちに、I君からケータイに「いま、ホテルのロビーに迎えに来た」やと。
焦るわ。
連れられて、西銀座だかの「恋のしずく」へ。
主賓のKさんは奥さん連れ。
「確か、白浜にも来てくれたよね?」。
聞くと、実家は黒川温泉の旅館の娘、というではないか。
「よし、じゃあ今度はそこでやろう!」。

四万十のTさんは、
「行きたいのだが、いかんせん後期高齢者の仲間入りの身で、高知から容易ではないので」
と断念したらしい。

「ばってん、よかとたい」
南小国町と南阿蘇村がしゃべると、「半分以上わからん!」。

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蘖ひこばえの菜園作業メモ
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