2012/12/02 (日)
朝冷え込む、霜柱。夜雨。
朝飯を食っていると、先輩同級生のMさんから電話。 この先輩同級生、交差点での黄色い旗振りを始めたと言っていたと思ったら、さらに老人介護施設の掃除に行っているという。 どちらもボランティア活動。 4月に入学して以降のお誘いの説明(クラブの勧誘のようなもの)に即座に応える行動だ。 「何でも見てみよう、やってみよう」の精神で、元気そのもの。 その介護施設に多少の畑があるのでいろいろ教えてくれと言い、「日曜日ならいいですよ。手伝いますよ」と答えたり、 知り合いの農家で空いている畑、草だらけの畑だが借りられるがどうか、「いいですね〜」と返事したのだった。
で、今朝の電話。 てっきり、介護施設の方かと思い、女房どのにもそう言い残して出かけたら、連れて行かれたのが大きな旧家。 家の横には広大な畑があり、今借りている農園と同じようにロープで区画を作り、貸農園にしているようだ。 先輩同級生の顔で、そのロープの外で草が生い茂っているが、「そこを開墾して自由に使ってくれていい」という話。 聞くと昔は牧場をやっていて「牧草地で牛を放牧していたんですよ」らしい。 このあたり一帯は、吉宗の時代は馬の放牧地だったというから、その流れかもしれない。 地主さんは勤め人で、農園の管理をしているという弟さんに出くわし、事の流れを説明してくれ、 「じゃあ、草は刈払い機で払っときますよ」と。「ついでに、耕運機をかけて置いて」とまでは言えなかったわ。 「農園の高い借り賃はもったいないよ」と紹介してくれたのだが、 「家からも遠くなるし、いまから畑づくりというのも大変だし…」と、 とりあえずこの先輩同級生に借りてもらって、わたしが手伝うことを提案する。 「さしあたって、今の時期は何もできないから、落ち葉と米糠をせっせと集めて置いときましょうよ。 日曜日なら声をかけてくれれば手伝いますから」と。 耳に入ってくる話をつなぎ合わせると、 どうもMさんは地方公務員だったらしく、この地主さんはその後輩ということだ。 また、Mさんの奥さんは農協にいたというところまでわかった。
次に連れて行かれたのは、学校の先輩だというKさんの家。Mさんは、この方にすすめられて入学したという。 古土を広げ、天日干しで再生させている最中だった。 庭は歩くスペース以外、菊鉢とプランターがいっぱいに並んでいる。プランターはほとんどが野菜。 「専攻課程も2年行って、計4年習ったんだ。野菜は○○先生に教わったからね。それを実践してるんだよ」と。 このKさんもまた別の高齢者施設でボランティアをしているという。 Kさんが加わり、Mさんがボランティアをしている高齢者施設とその周辺の畑を視察する。 畑には大きな霜柱が立っている。冷えるはずだわ。 おっと、その前に霊園に案内されたんだわ。なんでも、M家もK家も同じ霊園らしい。 「なんで、墓なんか見せられるんだぁ」と考えながらついていく。 Mさん、「これがオレんちの墓」と。なんでも、福井から墓石ごと引っ越してきたらしい。 「周りに合わせた御影石でなきゃ困る、と墓石家は言いやがったんだけど、 そんな罰当たりな話があるか、とうちのは昔の石よ」。 そういや、Mさんとそんな話もしたなぁ〜。わが家の実情もさらけ出して…。 「ついでに、これが琴桜の墓だよ」(佐渡ヶ嶽部屋は近い)。四畳半はゆうにあろうかという広さ。 「家一軒建つくらい(のカネを)かけてるな」とKさん。 また、荒れ果てた梨園を指さしては、 「ここの息子はぐうたらでな、親父が死んでからはこうよ。隣も畑だったんだわ」。 見ると灌木や草だらけの荒れ放題。 「『貸してくれないかい』と話を持ちかけたんだけど断られた」とか、 「マンションを2つ経営していて働く必要もないんだよ」とか、さすがに地元の事情に詳しく顔も広い。
自宅に戻り昼飯を食って、「東京マガジン」を見てから畑へ。様子見と収穫に。 追加播きの蚕豆の芽がまだ出そろわない。大丈夫かいな〜。 ヤーコンの葉っぱは枯れ枯れ。 春の掘り残しじゃがいも(アンデス赤)は死んでる。 全部(と言っても5株ほど)引き抜いてみたが、食えそうな大きさは3,4個だけ。 また、まとめて埋め戻す。春に種芋にしようかと。 できそこない人参を引いた後に、そのまま、下仁田の余り苗を植える。それでもまだ苗は残る。
◆収穫◆ヤーコン、にら、春菊、大根、小松菜、水菜、コーンサラダなどなど
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