2012/08/18 (土)
□羽田 7:25ANA
朝一番のANAで関空へ。 和歌山へのバスは高校の裏を通るのだが、もう野球部は秋に向かって練習中。 「智弁だけには負けんなよッ!」。 駅に着いてバスを降りたとたん、まさしく蝉時雨のお出迎え。 「シャッーシャッーシャッー!」とやかましい。 生息が北上しているとはいえ、クマゼミとアブラゼミとではやかましさが違うわ。
「タクシー代もったいないから着いたら電話しろよ」と叔父は言ってくれていたが、 なんせ80半ば、運よくちょうどいい時間のバスがあったのでそれで紀の川を渡る。 花を買って、叔父の家で昼飯をごちそうになってからお寺へ。 墓参りをしたあと住職を訪ねると、盆のあとの日曜日、在寺で相手をしてくれた。 曾爺さんの戸籍謄本をもとに過去帳を最初からめくって調べてくれる。 その過去帳を見させてもらうと、当然のことなんだろうが、昔(江戸〜明治初期)は子どもがずいぶん死んでいる。 姓もなければ、女子どもは名前の記載もない。「○○右衛門子」「○○右衛門女」「○○右衛門妻」などと。 しかし、そんな時代の子どもでも、戒名はきちんと付けられている。 不明の4つの墓のうち、おかげで2つはだれの墓か判明したが、 さすがに、石の表面が崩れ落ちている墓については、文字が読めず住職も判断できないありさま。
お寺で時間を取りすぎた。 明日の同窓会に出られないヤツと晩飯の約束していたので、叔父に送ってもらってまた駅へ戻る。
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