昭和33年4月5日(土)。
2012/04/05 (木)

harenotikumori.gif 長嶋が開幕3番でデビューした日だそうです。
あの有名な、国鉄の金田を相手に4打席4三振の、あの日です。
この年は、わたくしめが小学校入学の年です。
このころの入学式は、だいたい8日と決まっていたように思います。
まだ、野球に興味を持つ以前のことなので、もちろん、長嶋のこの日のことは記憶にはありません。

時が経って、昭和50年、前年秋に現役を引退した長嶋が監督になりました。
22歳デビューですから38歳の青年監督です。いまなら、この歳ではまだまだ現役です。
わたくしめ、就職をしてこの年の4月に東京へ出てきました。
第一次長嶋巨人のスタートは最下位でした。
クレープの「朝刊」で、「ねぇ また巨人が負けたってさ って」と唱われたくらいです。

昭和33年と昭和50年、ひとりで密かに因縁めいたものを感じています。

昨日の「和nagomi」の記事中にある、箕島−星陵の試合を、
阿久悠さんが「最高の試合」と称えたという「甲子園の詩」をネットで探しました。
尾藤さんは、講演の最後にこれを読み上げていたそうです。

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「最高の試合」
君らの熱闘の翌日から 甲子園は秋になった。
東南の海を駈ける台風が 思わず走りをとめてのぞくほど 試合は熱く長く激しく 翌日の空は 熱気をはらんでいるものの高く澄み もう秋だった。

それにしても君らが示したあの力は 一体何だったのだろうか。奇跡とよぶのはたやすい。だが 奇跡は一度だから奇跡であって 二度起きればこれは奇跡ではない。

言葉がない。言葉で示そうとするのがもどかしい 一瞬でいいつくす言葉の奇跡が ぼくにはほしい。
勝利は何度も背を向けた。 背を向けた勝利を振り向かせた快音が 一度 そして 二度起きたのだ 誰が予測できるだろう。祈ることはあっても 願うことはあっても 予測出来るはずがない。
ましてや 確信など誰にあろうか。

熱く長い夏の夜  人々の胸に不可能がないことを教え 君らは勝った。
球史にのこる名試合は
箕島・星稜
時は昭和54年8月16日。
君らの熱闘の翌日から  甲子園は秋になった。


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蘖ひこばえの菜園作業メモ
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