「ルーツを探る」の第一歩を。
2012/03/19 (月)

kumori.gif ようやく雨が上がった。

あらかじめ叔父宅に送っておいた手土産やらお供えを持って、叔父の車で親類回り。
善明寺の母方の叔父の家へ寄り、六十谷の父方の叔母さん家へ。
亡父の一番下の妹で、わたしが小さいころ、まだ実家にいたような、うす〜い記憶があるが気のせいか?
昨年、連れ合いの叔父が亡くなったが、葬儀、七七日にも行けずご無礼してしまった。
大阪との境の紀伊山脈の山裾あたりで、子供のころ、よく自転車で遊びに行った思い出がある。
でも、まったく道がわからなかった。
足が遠のいて何年だろう? 
女房どのによると、結婚後のあいさつに行ったそうだが、それでも33年は経ってる。
「(家の)前は、ずっと田んぼやっとなぁ〜」
「ここに座ってると、道行く人はどこのだれで、どこへ行く人かすぐわかっと」
「この上に蓮池があっとなぁ。盆に、よう取ってもらいに来たでなぁ」
「そうよなぁ、蓮池はもう埋められちゃあるで。ヤマモモもあっとな」
「そうや、ヤマモモも取りに来たなぁ」
母屋には息子(従弟)一家が、叔母はその前に別棟で、いまはひとり。81歳。

続いて野崎の、亡父のすぐ下の妹・叔母さんとこへ。
ここも数年前に叔父さんが亡くなり、いまは叔母さんひとり敷地内の別棟に。
母屋は息子(従兄)夫婦が、シンビジウムの花づくりをしている。
この叔母さんは、地震のあと、「ニュースで、千葉と聞くと心配で、心配で」と、何度も、何度も電話をくれた。自分はもう92歳やのに。
そのお礼も言いたかったし、元気で生きてるよと姿を見せたかった。
話すうちに、古いアルバムを引っ張り出してきた。
そこには、叔母夫婦の若かりし写真や従兄姉の子供のころの写真はもちろんあるが、叔母の兄弟姉妹の写真も見せてもらった。
独身の、兵隊の、初めて見る父の写真もそこにあった。
「いっしょに写ってるこっちの人な、あんたのお母さんのお兄さんやで。仲、よかっとなぁ」
叔母の話によると、父はそのお兄さんに、「妹(わたしの母)を嫁にもらってくれ」と言われてたらしい。
そのお兄さんが戦死し、約束を果たしたということなんだそうだ。

墓を調べるために、戸籍謄本を手に入れたくコミュニティセンターに寄る。
曽祖父の名前も知らない中での求めだったが、用向きを告げると、
市役所の窓口とは異なり、係の方がパソコン画面を見ながら、マンツーマンの対応をしてくれた。
それによると、曽祖父は「蔓延元年」の生まれとある。
「蔓延元年」ていつや? と、調べると1860年とのこと。
「(曽祖父の)その前はわからんですか?」と問うと、
「この方で江戸の生まれですから、たぶんないと思いますよ」と言いながらも、さらにその親を検索してくれた。
「やはり、出てこないですね。明治以降でないと戸籍にも残ってないですね」と。
でも、曽祖父の確かな名前、江戸時代の生まれであること、祖父は跡取りだが実は二男だったこと、
さらに、「海草郡」の前の「名草郡」(ぐんではなくごうりか?)などがわかっただけでも楽しくなってきた。
もっと深く調べて、家系図でも作ってみたいなという思いに駆られる。

ずっと、いっしょに回ってくれた叔父は86歳。

 
蘖ひこばえの菜園作業メモ
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