2012/01/22 (日)
義理姉の旦那が暮れに栃木の実家へ娘婿と行った帰りに、 わが家にも寄ってくれ野菜などをどっさり降ろしていってくれたのに、 年明けに再入院しそのままの人となってしまった。
もともと「きょう、顔を見せに行こうか」と女房どのと話していて、その準備が終わるころ義理姉から電話が…。 急いで病院に駆けつけたが、2週間前よりはるかに死が近づいているのがわかる。 2週間前には、「(ガンが)3つもあったんじゃ勝てないよ〜」と言っていたが、それでもまだ歩いてトイレへ行くことはできた。 酷なことはわかっているが、「がんばらなきゃだめだよ!」と声をかけることしかこちらはできない。 「もう…がんばれないよ〜」。 「はぁ〜はぁ〜」と吐き出すような言葉。 「いいよ、いいよ、しゃべらないで」。 それから3時間ほどの後、とうとう帰らぬ人となってしまった。 65歳。まだまだ早い。 働いて、働いて、働きづめの人生だった。 暮れに故郷へ帰ったときは、まっ先に「墓参りがしたい」と言ったそうだし、 「また、ねえちゃんに、小遣いもらっちゃったよ〜」と嬉しそうだった。 あと4分だったのに、その大好きなねえちゃんが到着するのを待つこともなく…。 「○○さん(義理姉)には内緒にしとけ、って持たせたんだぁ〜」 「その内緒を、家に帰る前にうちでしゃべっていったよ。嬉しそうに…」
60年生きてきて、人が息を引き取る場に立ち会ったのは、 実兄と二人目だが、ふたりとも若いのにあっけないもんだった。 実兄は、わたしが病院に着いた時にはもう意識がなかったが、義理兄はさっきまでしゃべっていたのに。 生きることに、もう少し執着しないものだろうか。いや、執着し続けての最期なのか?
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