2012/01/13 (金)
きのうは一日寒く、今朝もずいぶんと冷え込んだが、昼を過ぎて少しは暖かかく感じたか。
年金申請に上野・池之端へ。 不忍池は枯れ果てた蓮が一面で寒々しい。 でも、あの下には、きっと立派なレンコンがある、はず。 うまそうな鴨もすいすいと…。
全中が毎年募集している「ごはん・お米とわたし」作文・図画コンクールの入賞作品が発表になり、きょう表彰式があったそうだ。 上位4点のうち2点が、地震や津波の被害にあった小学生の作品だった。 あの日のことを思い出して、ごはんを食べられることに、あらためて感謝している。
内閣総理大臣賞 宮城県涌谷町立涌第一小学校六年 中村早希さんの作品。
「ありがたいねえ。」
三日目、凍りつきそうになる両脚をカタカタ震わせながら考えた。 (そうだ、あの日も、私はごはんを残していたんだ。しかも、私達の学年の残飯量は、毎日、目立っていた。) あちらこちらから、せきをする音が聞こえ、避難所として用意された教室に響いた。そして小さい子が泣き出す。 「おなかへったよお。」 その子達のお母さんが、二人をだっこして、教室の外へ出ていく。 「すみません。」 小さな声だった。私は心の中で返事をする。 (だれも迷惑だなんて思っていませんよ。) 丸二日、食べ物を口にしていない。突然、恥ずかしいという思いが押し寄せてきた。 自分の意志で、食べ物をそまつにしてきたことに対する恥ずかしさ。 「え、本当に。やったあ、やったあ。」 「もらえるんだって、おにぎり。」 (うわあ、三日ぶりのごはんだ。) 配給されたおにぎりを両手を器にして、半分腰を曲げて受け取った。いや、頂いた。でも、あれほど待ちのぞんだおにぎりなのに、食べるのがもったいないように感じられた。友達とこんな会話をしながら、寒さや恐怖とたたかっていたのだ。 「食べ物が食べられるようになったら、最初に何食べたい。」 私達の答えは、三人とも、おにぎりだった。
この時、私の耳に入ってきた言葉、 「ありがいたいねえ。」 近くで窓の外をじいっと見つめながらおにぎりを食べていたおばあさんの言葉だった。この言葉によって、手の中のおにぎりが、よりいっそう輝いて見えた。感謝の心が、つやつやと光っている。友達と顔を見合わせ、どちらからともなく、口にした言葉。 「食べるよ、食べるよ、せえのっ。」 口にしたおにぎりの味は、たぶん、一生忘れないと思う。 「一つ夢、かなったっちゃあ、私達。」 お米の味をかみしめながら、自衛隊の人に手を合わせ、何度も何度も(ありがとう。)を繰り返した。
今、思う。あの日のおにぎり、あれは希望だった。あのおにぎりがあって、私がいる。おなかがへった、と泣いていた二人の命があり、寒さとたたかっていたお年寄りの方々の命がある。あれは、千二百の尊い命を救った、まさに命のおにぎりだったと思う。多くの手と、その思いが実らせるお米だからこそ、私達に希望を与えてくれ、明日を感じさせてくれたのだと思う。支え、支えられるための力を生み出してくれたお米に感謝したい。 (ありがたいねえ。)
入賞作品は、31日まで東京・大手町のJAビルで展示されているとのことです。
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