一夜明けて。
2011/03/12 (土)

hare.gif 難民、解除。
「東日本大震災」

昨夜、事務所泊まりでハラを決めてから、もう若くはないから気を遣ってくれたのか、
「○○さん、(ホテルに)泊ります?」
「とってあるんか? これから? そんなもんとれるか、いまごろから」
「やっぱりダメだったみたいです」

しばらくしてから今度は、「よろしかったらタクシーで帰りますか?」
「車の手配はできてるんか?」と、玄関を指さす。
「いえ、拾っていただいて…」
「あほか、拾えるわけないやろ! おまけに(渋滞で)動けへんし」
 
1時近くになって、ソファに寄りかかりこまぎれ睡眠。
寝てるんだか、起きてるんだかの繰り返しで。
見ると床に段ボールを敷いて寝ているヤツもいる。毛布はしっかり調達してきたようだ。
5時過ぎのそのそ動き出し、TVのテロップ、「7時に運転再開の模様」。

炊き出しのおにぎりにカップみそ汁を食って、
「じゃあ、とりあえず上野まで行ってみるわ。悪いね、お先」と事務所を出たのが6時半過ぎ。

そのまま残りすでに仕事にかかる者もおり、
今度は、朝方大きく揺れた信越方面に大声で指示を出している(もちろん電話)。
ひと晩たって、電話はつながりやすくなったが、きのうベテランが、
「こういう時は、必要な所へとにかく電話して、まず回線を確保して、つなぎっぱなしにしておくもんだ」と。
しかし、そのまえに逃げてたもんな(アンタも)。

上野駅が近づくにつれ、その方向に向かう人がどんどん増えてくる。
でも、依然、上野駅は改札止め、まだ動いていない。人があふれてる。
「JRのうそつき!」なんて、若い女性がつぶやいた。
地下鉄の銀座線が動いているから、地下からどんどん人が湧いてくる。
「こりゃ、たまらん!」
娘に電話を入れて、動いている電車を確認する。
「都営は? 京成は? 北総線は?」
「とりあえず動いているけど、新京成が出てない」
新京成が動いていなくとも、そこまで行けば歩けば何とかなる。
で、とりあえず銀座線で浅草へ出て、そのルート。
新京成に乗り換えの新鎌ヶ谷までと思って北総線に乗ったが、東松戸で下車。自宅まで歩ける。
歩き始めたところで、車庫発のバスがすぐに通りかかってので、自宅下の大通りバス停で下車。
ラッキーにもさほど待つこともなく、殺人的混雑でもなく、9時半ごろには辿り着いた。
「な〜んか、なつかしいなぁ」

風呂に入って、髭を剃って、頭を洗って、すっきりしたところで、明らかになる被害状況をTVで見ると、
「こりゃ、ひどい」という言葉以外ない。
あとかたもなく消え去ってしまったわが家があった辺りを見つめているのか、
それとも、未だ見つからない家族を思っているのか、
茫然と被害を見つめる後ろ姿の男性の映像が、すべてを物語っていた。

いまも、ミシッと小さな音のあとに、ゆらっとくる。
1か月は続くらしいが、いいかげん、いつも揺れてるように感じてきた。

夕刊を見て、また驚いた。
町名が変わっていたので気がつかなかったが、街が壊滅状態の宮城県南三陸町。
旧志津川町で、ヨーロッパ研修にいっしょに行った方がここの役場にいる(いた?)。
年賀状の住所で地図を見てみると、モロだ。家がない。
連絡の取りようがない。
避難してくれてればいいが…。
町の人口の半分以上の1万人の安否確認ができないというが…。

津波で街が壊滅していく様子、娘は「いやだ、もう見たくない」と泣きそうな声で言う。
あちこちに連鎖して広がっていく震源地、映画の「日本沈没」を思い浮かべる。

「緊急地震速報」の連発。
揺れてる、揺れてる。「震度3」は、普通の揺れになってしまった。


i1 i2 (1)
(2) 何ごともなかったごときの碧い空。
(3) 帰ってみると、
もちろん、決して、きれいとは言わないわが机だが、
積み重ねた本’Sが崩れ落ちて、床にも。
 
蘖ひこばえの菜園作業メモ
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