2010/12/16 (木)
《12月14日からつづく》
プロ野球の審判は現在55人います。人口200万人に一人ですね。1年契約で、契約金や退職金はありません。 審判はジャッジがなければ最高の観客席で試合が見られる、野球好きには、たまらない職場です。 さらなる魅力は、球場の大観衆の前でジャッジができること。 クロスプレーのあの一瞬、息をのむ静まりかえった空気の中で、何万という目がアンパイアを見るわけです。 この時の主役はアンパイアなんです。どういう動作が相応しいか意識して、演出しますよね。 しかし、ジャッジは常に「100点しか認められない」過酷な仕事です。一度でもミスジャッジをすれば、0点です。容赦なく罵声を浴びせられます。
しかし、選手と対等だという気持ちだけは強く持っていなければなりません。イチローであろうと、松坂であろうと、審判は対等です。 何億もらっていようが関係ありません。人間対人間なんです。選手と対等の立場で野球に向かえること、一流の野球を目の前で見られること、最高ですよね。
2,500人の選手を見てきましたが、1軍の支配下に入れるのはそのうちの20%、レギュラーになれるのはさらにその10%。 一流選手と平凡な選手との違いは何か? 一流選手の一流たる共通項は、 「信念を持っていること」 「自己管理能力に優れていること」 「一生懸命なこと」。
イチロー選手(当時は鈴木一朗)。 一年目のキャンプから、審判の間でも目を引き評判になっていました。 ところが例の振り子打法を指摘し、体が細いイチローには、バットを短く持ってセンターへ返す打法が合っていると指示される。 だが、イチローは、「これで高校時代も実績を残してきた」と妥協しなかった。 監督に「フォームを直さないなら1軍では使えない」と2軍へ落とされ、そのシーズンは再び上がることはありませんでした。 オフには、「言うことを聞かないならクビだ」とまで言われたが、返した言葉が「その前にあなたがいなくなる」だったそうです。 そのとおり、監督が仰木さんに代わりました。仰木さんはイチローを見出しましたね。 「これまでの野球の概念を変える新しい選手になるかも知れない。登録名も『鈴木一朗』では平凡すぎる『イチロー』だ」。
信念のもうひとりは、野茂英雄。 あのトルネード投法。三振15個をとるが、四球も10個出す。当然、周りはフォームをいじくりたくなります。 しかし、本人はガンとして受け入れません。そして、アメリカのメジャーリーグへ渡りご存知の成績を残しました。
自己管理については、桑田真澄。 プロに入って間もないころでした。前橋での試合が終わったあと、すぐに翌日の小諸に移動しなければならなかった。 ところがバスの出発時間になっても桑田の姿がない。すると、ロッカールームの奥で肘をアイシングの最中だった。 普通、入ったばかりの選手なら、まっ先に道具を片づけ移動の準備をしなければならないはずなんです。先に行ってくれ、と。 あとからタクシーで、もちろん自腹、行くと言ったそうです。 これから何年も投げることを考えたときの自己管理なんですね。
もうひとりは、工藤公康。 歳を追うごとに投げる球にスピードが出た。去年が140qなら今年は145qと、目標を高めていった。 「限界」というものがないんです。普通の人間は、自分で限界をつくってしまうんですね。
亡くなった木村拓也、彼はテスト生でプロに来ましたが、常に一生懸命だった。 一生懸命な人間ほど力になってやりたくなる、同じレベルならそちらを使いたくなる。そういうもんですよね。 奥さんが記した本の題名も「一生懸命」です。わたしも7ページに渡り、木村拓也の思い出をこの本に残しています。
アメリカの審判はまず、「審判は神ではない。間違えることもある。だが、人間として尊敬される、信頼されるアンパイアになれ」と教えらます。 米国の審判学校に留学したことがありますが、米国のルールブックは100ページほどなんですね。それだけ審判に判断が任されています。 ジャッジに問題がありそうだとしても、審判に文句を言えば退場です。 メジャーリーグでは年間300から400の退場宣告がありますが、逆に退場させないと「あいつはチキンハートだ!」みたいなことが言われるようです。 日本では5件ぐらいでしょうか。
わたしの退場宣告第1号は金田正一さんでした。 ある日の試合(ロッテ監督当時)で、金田さんに「ばかやろう!」と罵られたことがあった。 こっちはまがりなりにも北大を出てる。因数分解もできるし、古文も読める。 「あなたほどバカじゃない! 退場っ!!」とやり返したこともある。 そしたらあくる日の試合前、金田監督が「ばかやろう、は悪かった。アンタ、国立の大学出てるんだってな。へたくそ、と言っときゃよかったな」と。
審判は55歳定年です。技術面やトラブル、病気、けがなどで、定年まで勤められるのは半数にも満たないのが現状。 9月26日札幌ドームの日ハム対西武戦が引退試合となりました。北大野球部の仲間も来てくれました。 試合が終わると梨田監督がベンチ前で待ってくれていて、抱きかかえて「ありがとう」と労ってくれました。 審判室の前では仲間が花束を手に迎えてくれました。妻もいました。 ところが、その後の10月1日、クライマックスシリーズ出場をかけたロッテ対オリックス戦が千葉マリンスタジアムでありました。 本来なら消化試合だろうと若手審判の予定を組んでいたのが、大きな試合を若手に任せられないと、引退の余韻もさめやらないのに急遽呼び出されましてね。 こちらは地元の方も来てくれました。学生生活を送った札幌と現在の生活を構える千葉と、2回目の引退試合となってしまいました。 1,451試合目でした。
「人生は、山あり谷あり」といいますが、わたしの29年の審判人生は「谷」の連続でした。それでも一生懸命やっていれば、だれかが見ていてくれるものです。 多くの人に支えられてなんとか続けてきました。 でこぼこ道だったからこそ、学べたことがたくさんあります。 華々しく、悔いなく審判人生を終わりたいと思っていたら、2度の引退試合。 これで終わりかと思ったら、連盟から声をかけていただきましてね。 「順風満帆でない人生経験を生かし、後進を育ててくれ」と。平審判では例がない、ありがたいことです。 野球の神様が与えてくださったと快諾しました。
今シーズン26回のビデオ判定があったが、18回は誤審だった。 ビデオ判定導入で審判は救われる。間違いであれば判定を覆すことが許されるわけで、悶々とすることもなくなる。だだし、いずれ、ストライク、ボールの判定にまで持ち 込まれたとき、野球の醍醐味、おもしろさを味わえますかね。 29年前、「間違えるな! ミスがない結果が全てだ」と言われ続けたが、若い審判には「まずは、人間として尊敬されるようになれ」と教えていきたい。
「ゲームセット」はかけません。
「退場っ!!」。
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