2010/05/06 (木)
例によって5時半前に目が覚める。 新聞は休み、髭は夕べのうちに風呂で、カミソリで剃った。 一度目が覚めてもう一度寝直し、というのはなぜかもったいなく感じるし、今度目覚めたときはやけに眠い。 …ように感じる。 だから、起きて水やり。髭じいさんがラジオを聴きながら作業をしている。 それでも、メシを食い終わっても7時にもならない。普段なら、やっと起きる時間だ。 さぁ〜、次は何をやる? そうだ、背広を換えなきゃ。 クローゼットを開けるが、思い描いたあの背広がない。恐る恐る、女房どのに聞いてみる。 「銀座の○○で買った背広が2つとも見つけられないんだけど」。 「ない、どこへやった?」などというと、あったときに「何でないのよ」とボロくそに言われる。 「ああ、あれ? 背広2着とジャケットの上下は、きょうクリーニングあがるのよ」だと。 おいおい、半年そのまま置いてたのかよ。 汗かいたあとの背広なのに、「カビ、生えてなかったか?」、思わず口から出た。 「ほんま、ずぼらなやっちゃで」 「一度に持っていくのが大変だから、2回にわけてと思って忘れてたんでしょ!」 絶対、「ごめんなさい」はない。ぜったいに! 連休明けのスタートはそんなだった。
昼休み。前社長で相談役から携帯に昼飯お誘いの電話。 「いつものところへ行ってるから」と。 上着を着て外へ出ると、「あ・つぅ! なにこれ!」である。 こう暑いと、畑の、ビニールキャップを被せた苗群を心配する。
連休明けの新聞休刊日の夕刊の定番となっている、 連休疲れで、大きな口をあけている都会人のマヌケな写真、どういうわけか今日の夕刊にはない。 これも個人情報保護のなせるしわざなのか…。
連休中に破り置いた讀賣新聞から、竹熊宜孝先生の話「自然界には7人の名医がいる」。 自然界の生物は、次世代に生命を引き継ぐため、あらゆる努力をします。 それに比べ人間は、なまじ知恵があるために自然を変えてまで自らを生きやすくする。 こうした人間の身勝手な便利さの追及が自然を破壊してしまうのです。 わたしは「医学は農業に、農業は自然に学べ」と口癖のように言っていますが、なぜ自然に学ぶのがよいのか。 それを裏付ける一つのヒントとして、「自然界には7人の名医がいる」と言った人がいました。 私の知人の言葉なのですが、7人の名医とは何かといえば、 @日光 A空気 B水 C食 D運動 E休息 F精神 −のことを言うんです。 この7人の名医は、人間が健全に生きていくうえで、どれも欠かせない条件と言っても過言ではないでしょう。 ところが現実はどうですか。 都会では「日光」の届かない穴倉で生活し、「空気」だって工場や車の排気ガスで汚れている。 動植物には欠かせない「水」にしても、人間や工場が集まれば汚染されてくるし、子供の健康によくない甘い水もあふれている。 「食」は、不自然な人工食のオンパレードだし、「運動」にしても最近は車に頼ってばかりで、足腰の弱い人間は増える一方です。 「休息」にしても休むべき時に休まない昼夜行動性動物の人間のなんと多いことでしょう。 「精神」にいたっては、ストレス社会を反映してか心を病んでいる人が急増しています。 「病は気から」というように気持ちの持ち方しだいで、どんな病気にもなってしまう。 「自然の名医」は本来なら人間に無限の力を与えてくれるはずなのに、 人間は自然の名医に逆らって勝手な行動ばかりしているから病気も一向に減りません。 自然の名医を大切にしてこそ、真の豊かさが得られると思うのですが…。
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(1) 故郷の地元農協が、地場産の新生姜を活かしたジンジャエールを開発。 先日、農協の役員が紹介にやってきた。 微炭酸で冷やして飲んでも「かぁ〜!」と熱くなるのがわかる。 和歌山県の生姜生産量は、高知県に次いで第2位。 紀の川筋の砂地が産地で、かつては、わが家でも栽培していた。
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