2009/11/05 (木)
今朝、起きて髭を剃り、顔を洗ってテーブルに着くと、 「ごめん、これ、きのう来てたのよ」と、女房どのから2通の郵便をわたされる。 ひとつは、どうでもいいようなもの。 もうひとつは、県人会の案内。 忘年会と先の衆院選での地元出身の当選議員を祝うとある。 失礼だが、こんなのは、まあ置いといて、小野田寛郎さんの講演があると紹介している。 これは、なんとしても聴きに行かなきゃ、と思う次第。 1974年3月に作戦の任務解除命令を受け、フィリピンのルバング島から帰還した。 35年前といえば、わたしが東京へ出てきた年ではないかと調べたら、その1年前、昭和49年だった。 終戦から29年後のこと、長嶋さんが現役を引退した年だ。 小野田さんの本家は、海南市小野田にある宇賀部(おこべ)神社の宮司を務めている。 学問成就や入試合格祈願の神様で、この「おこべさん」の鉛筆をもらってきて試験に臨んだりしたものだ。 去年の夏、同じ県人会の集まりで、初めて実物の小野田さんを拝見したが、 小柄な、いかにもらしいおだやかな雰囲気のお方だった。 講演の題材は「極限に生きる」。 ぜひ、聴きに行くゾ。
と、帰りの電車の中は、ケータイワンセグで日本シリーズ。 やっとの思いで1点を取って、同点に追いついたところで電車を降りて、家路を急ぐ。 飯を食いながら、さ〜落ちついてゆっくり見るど〜、と思ったら、あららららr−。 ホームランを打たれて、つかの間の同点。また、1点差。 ところが、亀井のホームランですぐさま追いつく。 「今日のこの試合は、勝たなあかん試合や」 「もう1点取れば勝ちなんでしょ?」 野球を知らない女房どのが言う。 「サヨナラ慎ちゃんの阿部が打つよ」
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