「いい人だった」と言われるかな?
2009/10/06 (火)

ame.gif 仏になれば、たいがいそう言ってもらえる。
死んでから勲章もらっても仕方ないけどね。
新聞記事も褒めてくれるよ。

農政記者の署名記事。今朝の新聞から。
 急死した中川昭一元農相は、政界切っての国際交渉の第一人者だった。新しい貿易ルールを定める世界貿易機関(WTO)交渉に立ち上げ前から深くかかわり、自他ともに認める「ステーツマン」だった。リーダーシップを持った政治家という意味だ。
 2度目の農相に就任するまでWTO交渉は欧米、インド、ブラジルが主導していた。「世界第2位の経済大国の日本が中核メンバーにいないのはおかしい」と、主要閣僚に直談判して少数国会合のメンバー入りした。
 国際交渉では、切った張ったの駆け引きだけでなく、合意文書に基づく法的な協議も要求される。それを高い次元で両立した。日本は農業分野やでは守勢になりがちだが「守るべきは守り、攻めるべきは攻める」と積極的に参戦。ライバルからも良い意味で「うるさいやつ」と一目置かれていた。
 国内でも政策論争に意欲的だった。担い手経営安定新法を議論していた衆院農林水産委員会で、当時野党の民主党から政策のわかりにくさを追及された後、「よい議論ができた」と相手をたたえる潔さがあった。的はずれな質問をする記者を一喝する厳しさもあった。
 2度目の農相を終えてからは党の農林部会に出ることは珍しくなったが、それまでは農林系に若手が育たないことに危機感を持っていた。新人議員にそっとメモを渡し、発言させる。幹部席からその様子をじっと見守っていた。
 政界入りは、「北海のヒグマ」と呼ばれながら自殺した父・一郎氏(元農相)の後継としてだった。30歳で初当選し、農政のプリンスと呼ばれた。農水政務次官から2度の農相、経済産業相、党政調会長、財務・金融相と順調に活躍の場を広げた。実力者でありながら神経は細やかで、愛飲・愛煙家だった。持病の腰痛で鎮痛剤も欠かせなかった。一時は首相候補にも名前が挙がっていただけに、ローマでのもうろう会見の失態と衆院選落選は大きな挫折となった。再起を期す矢先の急死はさぞ無念であったろう。
 農政を理解した上で他の政策も語れるところが中川氏の真骨頂だった。今の与野党議員を見渡しても希有な存在といえる。


明日も雨で、あさっては台風らしい。猛烈に強い…。

 
蘖ひこばえの菜園作業メモ
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