2009/03/26 (木)
この言葉をご記憶だろうか? 久々に紀州の高校がセンバツに出てきた。 それも、かの箕島である。 大隈秀夫さんが記した「白球に賭ける青春―尾藤武箕島高校野球の秘密 」(1979年)は、現在もわが書棚に並んでいる。 この前書きに、「バントを失敗した選手も、エラーをした選手も笑顔でベンチで出迎え、 決勝戦で、逆転されても選手たちの頭をなでながら迎えている。 わたしは、この青年監督にぜひ会ってみたいと思った」というような内容で書き出していた。 この前書きを読んでつい買ってしまったのだが…。
「若い頃はスパルタ指導で鍛え上げたが、成績が伸び悩んだ1970年代前半に信任投票により一度監督を退く。 その後はボウリング場に勤務し、その接客などで人間的にいろいろ学んだ。 再び箕島高校野球部監督に復帰してからは、選手の助言もあって、 練習の厳しさは変わらないものの試合中はいつも笑顔で接するようになった。 それにより選手達はのびのびとプレーするようになったという。 その微笑みは『尾藤スマイル』として高校野球ファンにおなじみとなり」 とWikipediaに紹介されている。
箕島・尾藤といえば、いまも語りぐさになっている 昭和54年夏の「箕島vs星陵」がある。 尾藤さんご本人の話として、「私と箕島野球」で講演した内容が和歌山放送社長のブログに紹介されている。
さらに話は高校野球で伝説になっている昭和54年夏の3回戦「箕島×星稜」戦になり、 1点を勝ち越され延長12回裏、2アウトで監督自身が万事休す、 試合をあきらめかけて、負け試合の監督インタビューを考え出した際、次のバッターの嶋田宗彦選手が、 バッターボックスからベンチに戻って来て突然
「ホームランを狙ってもいいですか!」
と聞きにきたので驚いたそうです。 当初は「ホームランなんて言って打てなければチームのみんなに大恥をかくのに彼は何を言っているんだ」 とその行動がわからなかったのですが、はっと気づいたそうです。 彼は、キャッチャーで守りの要で洞察力もある男。いつもは
「最後の最後まであきらめるな」
といっている私が、弱気になって試合をあきらめているのを、 以心伝心、気づいて、逆に監督とチームに
「元気を出せよ!」「まだ終わってないやないか」
と喝を入れに来たことを。 こんな状況で喝を入れること自体すごいことですが、嶋田選手は有言実行、 実際にホームランを打って絶体絶命のピンチを救ったのですからまさに神がかりの活躍です。 この選手からの喝で、目が覚めた尾藤監督はさらに18回までの死闘を制する闘志を取り戻したというのです。 延長18回の激戦を制したあとの宿舎でのミーティングは、選手たちが正座して号泣する中、 監督も言葉にならなかったそうですが、選手たちの目はきらきらと輝き、 選手たちと心が通じ合ったことを実感したそうです。 そのチーム一体感のなかで、準々決勝、準決勝、決勝と勝ち進むことができ、春夏連覇にもつながった、 と、隠れたエピソードを話されていました。
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