2008/06/12 (木)
のち曇り。 菜園ネタがないので、手抜きネタ。
上智大学の奈須正裕教授が、ある雑誌に寄せた一文。
隣の子の分まで食べた理由 「先生、今日の給食、鶏肉なんだよね」 「そうだよ。あっ、そうか。あなたは反対派だったね。どうする。食べられない?」 「う〜ん。ちょっと自分で考えてみる」 ここ数週間、5年生のこの学級では「いのちを食べること」を考えてきた。賛成派と反対派に別れ、自身の直観的判断の妥当性を検討すべく膨大な資料の山へと分け入り、あるいは取材に出かけ、そこで得た事実的知識を論理的に体系立て、各自の意見を形成し、聞き合う授業を展開してきた。 この女の子は反対派の先頭に立っていた。食肉工場の中で逆さ吊りにされた鶏の写真を提示し、「人間は食べるためといって、こんな残酷なやり方で鶏を殺している」と論じもした。 気になった担任が昼休みに声をかけると、「食べたよ」という。しかも、残そうとした隣の子の分まで。 周囲は驚いて、「あなたは反対派でしょう。鶏がかわいそうって言ってたじゃない」と騒ぎ立てた。その子は静かに、しかしきっぱりと応えた。「もう殺されているんだから、ちゃんと食べてあげなくちゃ、もっとかわいそうだと思う」
食育授業の一環なのだが、この子にとってはひとつ大きく成長した答えだと思う。 人間が生きるために育てられ、殺される鶏。 その命を「いただきます」と十分に理解して食べたことだろう。
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