2007/11/12 (月)
□文春「櫻井よしこ×阿川佐和子」 18:00東京駅サピアタワー
きのうまでとはうって変わって、すっきり青い空。 通勤電車のなかから、この冬(?)初めての富士山。 何合目当たりなんだろう、すっかり真っ白な雪を戴いている。 建物さえなければと思うと、昔は高台であればどこからでも富士山が見えたんだろうな。
休刊日。 先日の読売新聞夕刊コラムから。 <大根が太くなって、晩秋>……獅子文六の「食味歳時記」にそうある。 11月、初霜の後、畑の黒い土から太く白い大根が首を出している。 とても日本的風景と氏は感じた。 <大根ほど日本的な味わいをもっている野菜は少ない。 そして日本ほど大根の食べ方の研究が進んだ国もない>ともある。 フロフキ、ブリ大根、タクワン、切り干し………。 文六先生は子供のころ、タクワンは好きだったが、煮た大根は口にし難かった。 <日本の料理は酒を味わう舌によって、ウマさを知る因果関係があるようだ>ともいう。 氏がフロフキの味を覚えたのは20代半ば過ぎ、酒をたしなんだおかげだそうだ。 水上勉は「精進百撰」で大根の田楽、あんかけ、 クルミ味噌かけ、なますに加え大根葉のきんぴらを紹介している。 スーパーの大根に葉がないのが残念。 大根は地味ながら、晩秋から冬の大人の味だ。
また、おそらく同じ記者なのだろう、3,4日後の同じコラム。 素十の大根の味わいの句も好きだ。 <大根の日々太り子等も健> <切り干しを干したる貧しからざるよ> 太くなった大根と健やかな子どもたちとの対比がいい。 切り干し大根を干している農家の庭先、その庭先を<貧しからざるよ>と詠んだところがいい。 素朴な心の豊かさが、貧しからざるよなのだ。 決して豊かとは思えない農家の情景をそう詠んだ側の心のありようもまた貧しからざるよということだ。
このあと、守屋何某と山田洋行の一件に触れている。 わたしも大根を食うようになったのは、大人になって、自分で稼ぐようになってからだ。 しかし、これは単なる好き嫌いから。 わが家の大根は、今度の土日くらいで、やっと1本かな?
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