2007/10/23 (火)
チェックアウト後、福島へ。
長姉夫婦はいとこ同士で、女房どの3姉妹の母と、長姉の夫の父が兄妹。 つまりは、お互いの義父、義母は伯父、叔母にあたる。 この2人が寄る年波には勝てず、その見舞い。 妹は90歳。身体は元気なのだが、脳の回線が少々ずれている。 同居の長兄がいるのだが、昨年から施設でお世話いただいている。 今回は、長女と三女(わが女房どの)の名前はすんなり出てきたが、二女の名前が出てこない。 「今回は」というのは、その都度違うから。 3人の婿さんのうち、長姉の旦那は自分の甥だから、すぐわかったが、 当然、残りの2人の婿さん(そのうちの一人はわたくしめ)はわからない。 「あそこに座ってるのは、だれ?」 繰り返し、何度も聞かれる。 兄は9?歳。元気で、ついこの間までバイクを乗り回していた。 が、先日、危篤状態になって入院、持ち直したようだがベッドで点滴生活。 意識はもちろん、こちらは回線はしっかりつながっている。
日本の老人社会の縮図を目の当たりにしているわけで、 近い将来、わが実家の母も同じ道をたどるであろう、その面倒を見なければならないし、 何十年先かしれないが、自分や女房どのもまた行く道かと考えると不安になる。 回線がずれず、元気で、長生き、文句はたれない……だといいのだが。
2日間ケータイにも何もなく、留守をしていても関係なく仕事は流れていることに、 一抹の寂しさを感じるのは悲しい性とでもいうべきか。
あらっ? 保養のはずの締めくくりが、疲れる考えをしてしまったようだ。
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