2007/08/30 (木)
BBSのマメダ丸さんとの続き。
「巨人の星」のあと何年かは、少年漫画誌と遠ざかっていたのだが、 実は、社会人になってから「ドカベン」と「あぶさん」に出会い、 またしばらくは、チャンピオンとビッグコミックオリジナルの両方を読んでた。 いまは、この日記でも何度か触れているが、「オリジナル」だけは欠かさず読んでいる。 ゼミ後輩の某新聞記者が水島新司さんを取材した時の話だが、 「あぶさんのモデルは、近鉄の永渕選手だけれど、 球団を南海にすることで当時の野村監督に了解を求めにいった。 アーいうふうな、ぶつくさ、ぶつくさを覚悟していたら意外や意外、あっさりOKだった。 テレビに映らないパ・リーグの選手を、実名でじゃんじゃん出してくれ」ということになったんだそうだ。
大阪の鶴見緑地に、花博のときに造った「いのちの塔」というのがある。 その会員になると名前のプレートを飾ってもらえた。 小学生だったわが娘も会員になり、花博のときにそのプレートに喜んだものだった。 あぶさんに戻るが、現在、親父のあぶさん(景浦安武)と同じく、 プロの選手になっている息子の景浦影虎が、当時はまだ小さな子どもで、 「おれが、会員のいちばんや!」というひとコマが漫画にあった。 それで、実際、いのちの塔に行ってみると、本当に一番のネームプレートが「景浦影虎」。 これには参った。
いまでもまだあるのかどうか、確認しようと思いながらその機会がない。 ちなみに、この「いのちの塔」の花博当時の館長が「カバゴン」こと阿部進さんで、 にこやかに子どもの相手をしてくれていたが、いまでも館長を務めているのだろうか。
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(1) 1990年大阪花博のときに建てられた「いのちの塔」
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