2007/08/29 (水)
夜中だったのか、朝方だったのか突然の雨音に目を覚ました。 朝にはあがっていたが、少しは潤っただろうか。 トレイに播種のイタリア・リーフレタスがぽつぽつと発芽確認。
夏の甲子園決勝戦、広陵押し出しの一球。 「あれは、どう見てもストライク」という声がある。 残念ながら、わたしは見ていないから何とも言えないが、 今日の新聞のスポーツ面コラムでそれについて触れていた。
「自分の立場が悪くなることはわかっていても、言わなくてはいけない時がある。」 審判批判をしたことについて、広陵の中井監督の口をついた言葉である。 広陵の選手は彼(中井監督)の指導を守り審判批判をしなかった。 彼は「選手に審判批判させるわけにはいかない。ならば自分が言わなければ」とあえて発言した。
と、このコラム氏は「血が通った指導」と容認している。 そして、こう続けている。
中井は、理論より心を大切にする指導者だ。 1993年、秋季広島県大会準決勝の日、応援に向かった教え子の家族が交通事故にあった。 選手は、試合後、病院に向かったが父親は意識不明。一睡もしないまま翌日の決勝に臨んだ。 9回2死までリードする中、中井はこの選手をマウンドに送る。 最後の選手を三振に仕留めた選手の父親は、4日後に亡くなった。 この選手、二岡智宏は今、巨人軍の強打の遊撃手として球界を牽引する存在になっている。
そしてまた、
逆転されて1点を追う最後の攻撃で、果敢な走塁で3塁で憤死した走者を、 「ナイスラン」と笑顔でベンチに迎えた。
と記事にしている。 広陵の中井監督の顔は知らないが、かつての箕島の尾藤監督の顔が浮かんでくる。
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