2007/08/21 (火)
いっこうに雨が降りそうもない。 早起きして、おととい播いたつるなしいんげんに水をかけてくる。 日照りのおかげで、とまとは裂果もなくいい具合に色づいている。 オクラも元気、元気だが、穫れるのは毎回、3つ、4つ。 必然的に、何日か溜め込んでから食べることになる。
BBSに、ふみさんから宿題を投げかけられたのだが、 こちらに、農業側に偏ったひねくれ根性で私見をまとめてみた。 「わが国では常に、経済(工業)発展の犠牲のもとに農業がある」との結論のもとに…。
ただ、ひねくれているだけでなく、 国民の一人でも多く、農業を理解してくれれば、あるいは理解とまでいかなくとも、 ふみさんのように考えてくれる人が増えるような努力が農業側にも必要だと思っている。
農業保護というのは、農家だけに甘い汁を吸わせて生温い湯につけていると思われがちだが、 言い換えれば自国の食糧確保の政策でもある。 そういう観点から、世界の多くの国でも自国の農業を守る保護政策を執っている。 多くの農産国が集まるEUも、 かつての食糧危機の教訓から、食糧自給化を基本とした農業政策をとる国が多い。 しかし、EU諸国は農産物全体の保護政策を執ってきたのに対し大きく異なるのは、 日本は長い間、日本人の主食である米に特化して保護してきたことである。
戦後日本経済復興のためには、産業の復興が第一にあげられ工業化が推進された。 しかし、戦後の日本は圧倒的に食料が足りなかった。 食料が足りないことで食料の価格が高くなれば、工業の労賃を上げなくてはならない。 労賃を上げると産業の競争力がなくなり復興ができない。 だから食料の価格を下げる必要があった。 その端的なのが「食糧管理法(食管法)」だった。 つまりは消費者対策の食管法だったわけである。 安い価格で、強制的に政府が農家から米を買い上げて、消費者に分配するという政策である。 ところが、あまり価格を安くすると農家の生産意欲が減退し増産ができなくなる。 また、高度成長期を経た消費者の経済力がつくにつれ、徐々に米の買い入れ価格が上昇し、 農家も米さえ作っていればいい時代になった。 専業農家でなくても買い入れはしてくれた。 そのために規模の小さい農家(兼業)がそのまま残った。 ここに大きな読み違いが生じてしまった。 工業が発展することによって農業人口が都市へ流れ、 農地は規模拡大し生産コストを下げられると考えていたのだ。 しかし、都市化は進んだものの、勤めながらでも米は作れ、 同じ価格で買い上げてもらえたわけで、これでは規模の拡大は進もうはずはない。 いわゆる第2種兼業農家が増大した。
この間、工業がどうだったかというと、食料保護で消費者の生活が安定したことによって、 工業製品の国内需要が増大し生産拡大でコストダウンができた。 いうまでもなく、狭い農地や気象はじめいろんな外的条件に左右される農業と違い、 工業は、今日も明日も、同じものを同じだけ生産できる。 需要が増えれば今日から生産を増やせるし、規模拡大で対応できる。 国内で力をつけた工業は、その次は市場開放することによって世界と競争をした。 当然、当初は、関税等で外国製品から保護をした。 その間に、さらに規模拡大でコストダウンを図り自由化した。 工業製品の自由化を求める代償に、農産物の自由化が求められているのが現在の構図である。
この、世界からの農業攻撃には、農家の経営努力だけで太刀打ちできるものではない。 いいものを作るということではどこにも負けない日本の農業も、 生産規模とコスト面ではどうしようもない。 そしていま、政府がすすめている農業施策は、 一定の規模を持つ、一定の作物を栽培する農家に厚く補助金を出そうという考えである。 「規模がない農家は集団をつくりないさい」という考えだ。
それに対して民主党が唱えているのが「全農家所得安定対策」であり、 日本の農業は小規模農業(農家)で成り立っているという考えのもとです。 そして、先般の参院選の一人区(地方)では圧倒的に民主党に票が入りました。
久しぶりの論文になってしまった。 疲れた。
◆収穫◆93:オクラ、モロヘイヤ、つるむらさき 32:とまと(レッドオーレ)
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