「端午の節句」。もともとは女の子のお祭りだった。
2007/05/05 (土)

hare.gif いやー、まいった、まいった。
暑いわ!
朝散歩の途中に、農園に寄って水遣り。
昼間、[区画32]にトマト支柱建てときゅうりのネット張り。
3度目は夕方。
結構、人が集まっていて、「ああだ、こうだ」の畑談議。
「連休も、これくらいになると仕事に行きたいんじゃないの?」
と、人生2度目の人。
「いやいや、まだまだ。もっとやすみたいですよ」。

◆播種・植付◆ポットのモロヘイヤを定植する。
日付が変わるころから雨だというし、1週間、放っておけないので・・・。

以前紹介した「日本人のしきたり」によると、
その昔、中国では5月5日に菖蒲や蓬を門に吊るしたり、菖蒲酒を呑むなどして邪気払いをしていた。
これが日本に伝わり「端午の節句」になった。
「端」は「初」を意味し、もともとは月初めの午の日を指したが、
「午」が「五」に通じることや、五が重なることから、
特に5月5日を重五、重午と呼んでお祭りをするようになった。
日本では端午の節句は女の子のお祭りだった。
田植えが始まる前に、早乙女と呼ばれる若い娘達が「五月忌み」といって、
田の神のために仮小屋や神社などにこもって、けがれを祓い清めていた。
田の神に対する女性の厄払いの日だったのである。

平安時代になって、菖蒲が武事を尊ぶ「尚武」や「勝負」に通じることから、
男の子が菖蒲を頭につけたり、菖蒲で作った兜で遊ぶようになり、男の子を祝う行事に変わっていった。
江戸時代に、五節句のひとつの「端午の節句」と定められ、武者人形を飾るようになり、
中国の故事「登龍門」にあやかり、鯉のぼりを立てるようになった。

また、粽と柏餅の所以は、
古代中国・楚の詩人の屈原(くつげん)が、5月5日に川に身を投げ亡くなった。
悲しんだ人々が、命日に、竹筒に米を入れて投げていた。
ある年に、屈原の霊が現れて「龍に米を取られるので、竹筒ではなく、
龍が嫌う茅で包み、糸で結んで欲しい」といった話が伝わり、粽を食べるようになったといい、
柏餅は、柏が新しい葉が生えないと古い葉が落ちないことから、
後継ぎが耐えないとの願いが込められているという。

◆収穫◆93:スナックえんどう、絹さや

万歩計、装着忘れ。

i0 i1 i2 (1) 何の芽?
かぼちゃ類なのだが・・・。
バナナかぼちゃ、そうめんかぼちゃ、UFOかぼちゃと、
2粒ずつ種を播き、発芽したのがバナナかぼちゃひとつだけ。
あきらめて、引っかき回しておいたところから芽が出てきた。
何や、わかれへん。
(2) トマトの行灯を外し、支柱を立てる。
(3) ワイルドストロベリーにも花が咲いた。
 
蘖ひこばえの菜園作業メモ
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