望郷。都会に出てきた百姓の小倅。
2007/04/23 (月)

kumori.gif 今朝の通勤電車中で、先日来、紹介している
徳野貞雄著「農村の幸せ、都会の幸せ」(NHK出版)をやっと読み終えた。
筆者は、熊本大学の先生なのだが、
昭和35年ころの農村社会と現在の農村・都会を比べ、
いかに農業、農村を大切にしなければならないかを、本書で述べている。

まず、前書きがこうだ。
「私は強引に、昭和35年頃まで田んぼや畑にいて農林業をしながら農山村に暮らしていた
(中略・「田」がつく姓を列挙)さんが、
都会に出て、(トヨタやホンダなどの企業)に就職してサラリーマンになったことが、
この世を一番変えた原因だと考えて、この本を書いていきたいと思います。」

そして、

昭和35年以前の日本社会は、
明治だけでなく江戸、さらには室町、鎌倉時代などと繋がった、古い要素がたくさん残っていた。
暮らしのなかで、わりと動物のにおいを持っていたし、
土のにおいも非常に強く持っていた。土とともに生きていた。
家には土間があり、庭には自給の野菜があり、牛や馬、鶏がいた。
女性は嫁に行っても、嫁ぎ先はせいぜい隣村。嫁ぎ先もまた農家であった。
これが1500年、社会が安定した江戸時代からでも400年近く続いた日本人の社会形態だった。

つまり、日本人は皆、百姓の小倅だった。

それが、たったの50年で大きく変わってしまった。

「かつて百姓の小倅だった都会人は、ムラに残した老親を気遣いながらも帰れず、
『新鮮で安全な農産物を求め』『定年帰農』に憧れる。
都会でサラリーマンになって、夏でも冬型の格好をさせられ、
満員電車に乗せられて、水虫になりながら夜遅くまで仕事をする。
仕事帰りにはそこらの居酒屋で上司の悪口を肴に酒を飲んでいる。
そうした暮らしは、GDPに換算すればかなり高くなるでしょうし、
確かに経済としては成立しています。
経済としては成立するかもしれないけれど、一人の人間の暮らしとしてはどうでしょう。
それよりも朝早くから田んぼに出て水を見回り
・・・略・・・
クーラーはないけれども、日本の伝統的な家屋には風通しがよくて涼しいポイントがありますから、
そこに寝転がって昼寝をする。
休日には近くの川で魚を採ったりする。
こんな暮らし方が個人としては理想的なのかもしれません。」

都会に出てきた田舎人。
わが身に置き換えてうなずくことしきりである。

i0 i1 (1) ムーンライトフレグランス。
確かに、昼間は閉じて夕方に開くが、芳しい香りは感じへんよ〜。
(2) ほっ・・・ホッ・・・ho・・・穂。ほぅ〜?
大麦。
(3)
 
蘖ひこばえの菜園作業メモ
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