2007/02/13 (火)
何年か前、三重県観光協会が観光客誘致のために、都内で開いた催しに参加したことがある。 当時の北川知事と、観光大使としての楠田枝里子(同県出身)が案内係を務めていた。 それ以来、職場に、三重県のイベント案内が四季ごとに送られてくる。 その昔、三重県の南部地域も「紀州」であり、 今でも、新宮の先・熊野から尾鷲一帯を東紀州と呼んでいる。
きょう届いた「春号」には、その東紀州は熊野市の「丸山千枚田」、 紀北町の「種まき権兵衛まつり」(いったいどんな祭りや? 一度、見てみたいものである) などとともに、紀州犬を紹介した記事があった。
以下その記述。
江戸時代、紀の国は阪本村(御浜町)に弥九郎という鉄砲うちの名人がいた。 ある日の夜、弥九郎が山道を歩いていると喉に骨がひっかかり苦しんでいる一匹の狼がうずくまっていた。 弥九郎は骨を抜いて狼を助けると、 「もしよかったら、おまえの子どもを一匹おれにくれんか」といって、狼を放してやった。 それからしばらくして弥九郎の家の前に一匹の子犬が置かれていた。 弥九郎はこれはあの狼の子に違いないと思い「マン」と名づけて大事に育てた。 ある年、新宮の殿様が狩りをしたとき1頭の手負いの猪が殿様めがけて突進してきた。 それを見たマンは、猪に襲い掛かり見事に倒してしまい、 このあたりでは知らない人がないほど有名になった。 この弥九郎の犬が、後の紀州犬の先祖だとされ、 紀州犬は狼の血を引いていると言われているとのことである。
「紀州=和歌山」の私には、紀州犬すなわち和歌山の犬だと思っていたが、目から鱗だった。
きょうも拾いねたでした。41
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(1) 勇猛果敢な気性の紀州犬は 猪や鹿、熊などの猟犬として親しまれている。
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