2007/02/03 (土)
■柴又の草団子と「硫黄島からの手紙」
ずいぶん明るくなるのも早くなったが、朝散歩は出遅れ、8時のスタート。 毎度、毎度のさくら通りから[第1農園]へまわり収穫作業。 心なしか、ほうれんそうの葉が黄色がかっていたので、 油粕液とピカコーを混ぜて薄めたものを散布しておく。 散歩から戻ると、有田から取り寄せた晩柑類(八朔、ネーブル)が届いていた。
昼前から計画どおり、「硫黄島からの手紙」と柴又へ。 女房どのも誘うが、戦争映画は怖くていやだ、という。 東北地方の出身のわりには寒さに弱く、この時期ほとんど冬眠状態だ。 仕方なく、さみしく一人で出かける。 硫黄島での戦いというより、 戦争というものはこれほど壮絶で、惨いものだったのかと改めて思い知らされた。 玉砕を潔しよしとし、かつ、強いられている身であってもひとりの人間。 「家族を守るために戦いに来たが、家族と会うために生きて帰りたい」。
その後、柴又へ。 帝釈天へ行くと境内が何やら騒がしい。 中へ入ってみると、そうか、きょうは節分だった。 相撲取りや亀田のあほ兄弟(柴又に住んでるらしい)やらが、豆まきをやっている。 残念ながら入るのが遅かったから、遠すぎて豆が届いてこない。拾えず。
わが家の節分。 西の出身だが、恵方巻の風習なんぞ全く知らなかった。 20年余り前の最初の大阪転勤で高槻に住んだとき、近所の人に教えられて初めて知った。 それ以来、恵方を向いて黙って巻き寿司にかぶりつく行事が毎年続いている。 だが、絶対笑ってしまう。お互いの姿を見たら、ぜったい、おっかしいもん。 鰯も欠かさない。 そのあとは、いい大人だけで豆まきだ。 隣近所に聞こえないように、ささやくように。 そして、年齢+1の年越しの豆を食う。
鰯と言えば、節分の夜、ヒイラギの枝に焼いた鰯の頭を刺して門口に立てる習しがある。 「やいかがし(焼い嗅がし)」というのだそうだ。 ヒイラギの葉のギザギザで鬼の目を突き、鰯の臭いで追い払うという。 そういえば、幼かりし頃、祖母がそんなことをやっていたようなかすかな記憶が残っているような…。 どんなつまらないものでも、信心次第で何でもありがたく思えてくるという意味の、 「鰯の頭も信心から」は、この「やいがらし」から生まれたという。
◆収穫◆第1:ほうれんそう、大根、ルッコラ、春菊
13,048歩 461.7kcl きょうは、ずいぶん歩いたな。51
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(1) 京成柴又駅。 さくらがいつも寅さんを見送る上りホーム。
(2) げんちゃんが掃き掃除や水撒きをしている帝釈天門前。 節分のきょう、豆まきの催しが…。
(3) 4作目まで撮影に実際に使われた「とらや」さんと、 本当のモデルはここと言われる「高木屋」さん。 高木屋の草団子。柔らかでうまかった。 もちろん、土産も買った。
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