2006/07/16 (日)
□義理母見舞い
読売新聞の「編集手帳」が興味深かった。
亭主「野郎は、金坊は大きくなったろうな」。女房「おまえさんの前にいるじゃないか。よく見てごらんよ」。亭主「目をあけると涙がぽろぽろ出てきていけねえ。おめえ、代わりに見てくんねえ」◆まだ夜は明けねえか、金坊はまだかと、奉公先から3年ぶりに戻る息子を待ちに待っていた父親は、「ただいま」の声を聞けば感極まって目をあけていられない。落語「藪入り」である◆その昔、商家の奉公人は年に2度、正月と盆の16日に暇をもらい、実家に帰るのを許された。藪入りが歳時記と落語のなかにひっそりと残る言葉になって久しい◆江戸川柳に「もうよかろうと藪入を母おこし」とある。奉公先ではできない朝寝をさせてやったのだろう。藪入りは「こどもの日」であり、「母の日」「父の日」であったに違いない◆(中略)◆語源は草深い田舎に帰るからとも、「宿入り」からともいう。若い人に「藪入り」の意味を問い、親子というヒントを添えれば、「藪のように深い心の闇」といった答えが返ってこないとも限らない。物思いに沈む藪入りの季節である。
中略の部分では、親子の事件を憂えている。 親がわが子を殺傷するなんて、何をかいわんや、であるが、 子が親をの場合は小さいころからの躾、教育が大きく影響していることはいうまでもない。
「藪入り」。 懐かしさを感じる言葉になってしまった。 旧盆の実家では、8月16日だ。 あととりに嫁いだ嫁は15日に仏様を送って片づけがすんだところで、実家へ帰る。 そんな風習があった。(今は、いつでも帰るんだろうな・・・)
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