2004/11/20 (土)
朝は気温が低く起きるのがおっくうになる、今朝は7度。 久しぶりに産直市の出展する、チマサンチュ8株・日野菜15株、それだけ。 7時前に会場へ行くと10数人が未だ開いていない会場の前でたむろしている。 全て出展者だった、こんなにいるのか と始めて真面目に時間通りの搬入に感心する。 顔なじみの人としばし話すと「この所お客さんの人数が少ない」とこぼす。 売れても売れなくても、こうやって毎日出しているが1度でも悪い「品切れや他より高い 品が悪い」の評判が流れると、行く末が見えなくも無い、と感慨げな表情であった。 容易い考えでは長続きしないのは当たり前、意気込んでいても妥協は付き物、気長く行きましょう まだ先は長いのですから。
午前中は本業でつぶれる「本来趣味などでつぶれる と言うが私の場合は・・・」 杉さんは国体予選の主審で岡山入り、高戸さんはペッタンコ?の試合に行く。 ペッタンコ 正式にはペタンクと言うらしい、的に向かって鉄で出来たソフトボール大の玉を投げて競うらしい、相手の玉に当てても良い、常にチームの玉を優位に付ければ勝ちだそうだ。
午後からは、ぶなさんに習ってホウレンソウの移植?行う事にする。 用地はタアサイの播種が見事に発芽して、その数日後に見事に害虫に食べられた跡地の雑草を削り、更に久土石灰を施した、少々疲れる。 「写真1」見事に出揃ったホウレンソウ。 高戸さんが、花咲爺さんのように播種をしたホウレンソウ「こんなに蒔いて・・」 「写真2」その苗を丁寧に掘って移植をしたホウレンソウ。 ホウレンソウはおろか、ダイコンやニンジンでも移植は可能と、長老は言う。 本当だろうか?と半信半疑の私だったが、ぶなさんはポット栽培で毎年不可能を可能にしている、移植も可能の筈と、あえて挑戦する、これもアマチュアでの安易な発想である。
移植の間、晃一が絶えずじゃれついてくる、溝はぬかるんでいるが、畝は乾燥しているので畝づたいに絶えず飛び越えて遊んで欲しいと、じゃれる 本当に邪魔である。
今日の午後からは精力的に動く、移植を終えてからJAの無人精米所で玄米30Kgを白米に精製しに行くと先客が二人いる、待ち時間を利用して農機センターを視察。 廃材置き場に釘付けになる、お〜これは使えそうだ、これも使えそうだ。 ベアリングやギヤを無造作に産廃のコンテナーに放り込んでいるのを物色していると時間が経つのが早い、今度じっくり見て頂くことにしよう。 あれっ 私だけの車がポツンと精米所に1台、慌てて戻り精米を開始する。
予め10Kg袋2枚と5Kg袋1枚を用意しておいたので少々多目だが小分けにして出来上がる。 空いた30Kgの袋は米糠を入れることにする、今日は多い、先ほど私を待たせた先客は米糠を必要としなかったらしい。 入りきらないので有りとあらゆる袋を車から出して詰め込む、道端で100円玉を拾った時より嬉しい気持ちになる、ルンルン♪
帰ってくると高戸さんは何時もと同じように泥だらけになって作業をしている。 新米を是非 と言ってご賞味して頂く、米糠もこんなに沢山、と言うとことのほか喜ぶ。
明るい内に薪割りもやる、昨日の雨で湿気てはいるもののやらなければ暖かい風呂に入れない重要な仕事である、しかし重労働 かなり薪割りが上手になる、思った所に斧がくい込み真っ二つになると気持ちがいい。 今日は駆け足である、産直市の売れ残りの撤去も4時半までだが既に5時を過ぎている、薪割りに時間を取られた。
売れ残ったのはチマサンチュが3株・日野菜が2束であった。 掃除のオバサンに1束づつ差し上げると「売り物だモン頂けない」と言っているが「明日にはひなびてしまうのですから」と差し上げる、喜んで私の車が遠くなるまでお辞儀をしていたのが律儀であった。
「写真3」久しぶりに花部会のMaさんの家へ寄り売れ残りの野菜を持って行くと、今日は寄せ植えの講習会へ行っていたとのこと。 写真は1000円の会費でプランターから用土まで付いていて、得よトクよ得だったでしょう、と何度も私に聞くが安いねー と答えると「でしょう」 ポインセチアが2種類・シクラメン・ビオラ・の他に各種デコレーション。
いやーよく動いた、少々疲れました、明日は又高校の光ケーブル敷設工事だ、日曜日は嫌いだ。
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