どんくさい
2004/05/02 (日)

kumori.gif 今日は実験用トマトの移植の日。

朝ふと研究室の前の花壇を見ると見慣れない花が。
よく見るとブラックベリーの花だった。

へぇー。もっと小さい花が咲くのだと思っていた。
なぜだかわからないけれどなんだか妖しげ。

朝水遣りのあとやってきた先生にやり方を説明していただく。

養土と川砂を一対一で混ぜて・・・。
川砂を入れるのは、微量要素が川砂に含まれているため
栽培が楽になるからということだ。

先生はアスパラの収穫へ、僕は移植作業。


先生は川砂置き場の前でシャベルで土を混ぜて、
一輪車でトマトを育てるガラス室まで土を持っていって
移植するようにおっしゃっていたのだけれど、
僕はそれだとなんだか土を運ぶのが大変で、
プランタに入れてから持って行ったほうがいいんじゃないかと思った。

しかも混ぜた土が余ってしまうとよくないと思い、
プランタに土を入れてから混ぜることにした。

プランタの数、十個。
一つ一つ大体の量を測って養土と川砂を入れていく。

そこまではまぁ、よかったのだけれど、
プランタで土を混ぜるのが思ったより難しい。

混ぜるとき土はぼろぼろ落ちてしまうし、
プランタの角のほうは混ぜにくいし。

それを十回繰り返すのですこぶる効率が悪い。

様子を見に来た先生に、
「何やってんの? 何が始まるの? もう植えてると思ってた」
といわれる始末。

すみません、先生、見捨てないでくださいね・・・。

焦ると失敗するのが世の常。
昨日の教訓はどこへやら。

急いで混ぜると雑になる。どんどん土はプランタからこぼれていく。
で、結局足りなくなり、
またバケツで土を作り直し(混ぜる作業)。

ふー、やっと終わった。
今度はガラス室にプランタを持っていく。

しかし、弱り目に祟り目というのか、
泣きっ面に蜂というのか、つくづくどんくさい僕は
道中一輪車に載せたプランタをひっくり返してしまう。

泣きべそをかきながらとりあえず十個プランタを輸送。

そしてまた補充用の土を作る。

れ・みぜらぶる。

結局たくさんの土と時間を無駄にしてしまった。

始めから先生の言うとおりだーっと大量に土を作ってしまって
やったほうがよかった。

目上の方の指示は聞くものです・・・。


先生はてきぱきと仕事をこなされ、
ガラス室内の整地とシート敷きをしてくださる。

優柔不断の僕は90個ほどあるセル苗から
丈夫な苗30個を悩みつつ選んで
移植する作業。

曇りの今日でも室内はかなり暑い。
これは夏の実験時は相当つらそうだ。サウナ状態。

夏の作業でこのおなかにたぷついたいらない脂肪も汗とともに
流れたらいいのだけれど。

ようやっと移植を終え、先生が敷いて下さったシートの上に
プランタを置く。

先生の計画ではポンプを利用して養液を自動散布する
予定だったのだそうだが、
なぜだかコンセントがつかえないとのこと。
どっかで断線しているのかな?

とりあえず
明日からは毎日水遣り、週に二回1000倍の液肥をやる。

まぁ毎日顔を見てやるほうが生長の様子も見られるし
僕はいいと思う。


移植しなかった残りのセルの苗はもう用済みだとのこと。
このままセルに植えておいても容量オーバーになってしまうし、
かといって移植して育てるスペースもない。

なんだか悲しいけれど仕方なく残渣置き場に捨てる。
ごめんね・・・。

移植作業だけで半日かかってしまった。
先生ごめんなさい。


作業のついでに育苗バットに昨日買ってきた
ラベンダーとカモミールとワイルドストロベリー、
ポットにひまわり*9を植える。

四葉きゅうり*4もポットに植える。
前に植えたのとは種苗会社が違うらしい。
どう育ちが違うか楽しみだ。

ワイルドストロベリーは昨年母に苗を買ってもらって
お借りしていた畑で育てていたのだけれど、
引越しのときに泣く泣く処分した。

今度は種からじっくり育てるぞ。


買い物に出かける。
春キャベツが98円とある。お買い得だ。
レジにいったら、「198円です」。

えぇ?

あとで違う角度で見ると確かに198円。
「1」が見えなかった・・・。悲しい。

近くの八百屋では150円だった・・・。
しかもチラシには数日待てば128円と確か書いてあった。

ぐすん。

そう、何だかんだ偉そうなこといっていても
少しでも安い野菜を買おうとしている僕。

ただ、スーパーとかでいくら高く、安く買っても
あまり農家の方には影響しないんだよね。

伝統野菜、有機栽培の野菜を値段が多少高くても買うとかだと
その消費行動もわずかながら意欲ある農家の方の役に立つのだろうけれど、
普通のものの場合は、天候やそのときの生産量、
売り手の販売戦略などに左右されて店頭の値段は決まるはずで、
あまり農家さんの収入は変わらないだろう。
消費者ニーズの変化も起こせそうにない。


作り手の姿が見えないというのは僕たち消費者にとっても
悲しい、不利なことだと思うし、
生産者である農家の人にとってもそうだと思う。

どんな人がどんなところでどういうコンセプトで作っているのか、
どんな人が買っていってくれて、どういう野菜を求めているのか、
どちらもわからない。

買う側は、あの人だから信頼できる、おいしくて安全だ、
といった安心感は得られない。

だから何かO-157とか、ダイオキシンとか、不認可の農薬とか
事件が起こると、特定の品種とか、産地の作物は
誰が作っていようとみんな買わなくなってしまう。

作り手側も、どうがんばって作っても喜ぶお客さんの顔が
見えないわけで、努力する意欲は失われてしまう。

思い切り極端に言えば、
あぁ、どうせ自分は食べないし適当に農薬まいて
それなりのもの作って農協に出せる物作ればいいや、
となってしまう。


確かに、高度に発達した流通、販売システムがあるからこそ、
僕たちは周年、各地の多種多様な食材を、スーパーなど
一箇所で一度に安く購入することができる。

でも、本来食べ物はその地で作られたものをその地で
消費するもの。

nojoで取り立ての新鮮な野菜のおいしさを味わうと、
もっと地産地消で、生産者と消費者の距離が近く、
おいしいものを安く売り買いできる
システムができないものかと思う。

品種だとかブランドだとか保存法がとか
いうけれど、そんなに難しいこといわなくても
実はすごく身近においしいものが
豊富にあるんだよね。

わざわざ市場に運んで、
またそれをどこかに長い時間かけて運んでいく。

コストは増え、味は落ちる。


けれど、このシステムのおかげで、農家の人は
作ることに専念できるし、作ったものを無駄にせず
市場に出すことができる。

買う側も、欲しい物を欲しい時に欲しい量
手に入れることができる。



またこの状態。

いつも僕はこうしてものごとの両面を考えてそれで
思考がストップしてしまう。

まぁ百歩譲って、
ものごとの表と裏、冷静にきちんと認識することができているのならそれも
思考のステップとしてはいいことなのかもしれない。

でも、そこから一歩踏み出して、何らかの意見、考えを
作り出せるようにならなければ、オリジナリティーも何もない
つまらない人間でしかない。

何かの議論をしていて、賛否両論聞いて
双方の論理を納得できたとしても、
「で、あなたはどう思うの?いい考えはない?」
ト聞かれて何も答えられなければ
誰からも相手にされなくなるだろう。

一応科学の世界に身をおくものとして、
自分の頭の悪さというか、未熟さを痛感する。

自分の考えは、いつもどこかで誰かが書いたり言ったり
したことばかりだ。受け売りでしかない。
何の面白みもない。


僕はいつになったらこの壁を越えられるのだろうか。


小さくてもかまわないから、何か一つ
きらっと輝くものを自分の中にもてるようになりたい。


買い物ついでに先生に息子さんと食べてもらおうと
柏餅を買う。

もうすぐ端午の節句だしね。
今日のお詫びもかねて。

粽もおいしいんだよね。でも高いのだ。


昔僕は祇園祭のちまきをずっと食べられるものだと思っていた。
何でずっと飾っておくのかわからなかった。
食べたくて仕方なかった。

真実を知ってがっかりした。


午後は論文読むぞ! 

zzz・・・。またかい。

ゼミの日は刻一刻と近づく。


<写真>
咲き始めたブラックベリーの花、
プランタに移植した実験用トマト(ガラス室内)。

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blackpigのnojo作業メモ
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