2013/04/09 (火)

kumori.gif 薄曇りで気温は低く 小寒い

日常が戻ってきて また昨日から仕事を始めている。
今までと違うのは 朝と晩、出かける時と帰った時、折に触れ母に声かけして手を合わせること。
今にも話し出しそうな遺影なので見つめていると又涙が出てしまう。昨日、食パンを焼いてマーガリンを塗って食べようとして「母と一緒に食べよう」と、遺影の前で食べていたら涙が溢れてきて大泣きしてしまった。

肺に小さな白い点がいくつかみつかって「おそらく腫瘍だろう」の診断が下り、病の元は詰まりそうになっていた胆管の腫瘍で、そこからの転移だと分かった時、そのことを包み隠さず告げた非情な娘の私。
人の気持ちを思いやらず冷たい人間かもしれないけど、自分がもし母の立場だったら きっと『ほんとうのこと』を知りたいと思うから動揺を隠しながら意を決してそうしました。
その時「もう十分生きたから 何もしてもらわんでいいよ」というのが母の答えでした。どんなに生きても「これでよし」とはなかなか思えませんし、母のこのことばの裏にはやはり「まだまだ生きたい」気持ちが隠れていたことでしょう。それでも「62歳でこの世を去った父の分の寿命をもらい、身内の誰よりも長生きしたからもう十分よ」という母の言葉も本当だったと思うのです。
そんな中 12月に入院し、ほとんど詰まってしまった胆管に管を通し胆汁が流れるように手術してもらって2ヶ月ほどで退院できたのはきっと嬉かったと思います。
それからほんの1ヵ月半の自宅での介護は短い間でしたが、毎日家族の声を聞き、共に食事し、ご近所さんのお見舞いを頂き、看護師さんのお世話になり 穏やかに最後を迎える為の日々だったように今 振り返っています。
不平不満を言わず、最後まで人に世話をかけない努力をし、拍手してあげたいほどの生き方、死に方だったと告別式の挨拶で伝えたかったと夫が言いました。
子や孫や曾孫 家族への抱えきれないほどのいっぱいの母の愛に ありがとう と、心配ばかりかけてごめんね との思いで、また胸が詰まります。

 
barglの家庭菜園日記
[ホームに戻る] [今日の日記へ] [この日の日記へ]