鞆淵の山へ再び
2017/09/19 (火)

hare.gif * 地籍調査の結果に納得のいかない我が家(実家)のメンメンは、本日再調査ということで山に行くことになった 
それにつき、強力な証拠を発見したのでそれも持参する  今日の同行者は弟T  
山のサイメンを記した地図が実家のどこかにあるはずと探していたら、父親の日記の最終ページにそれは描かれていたそうだ  
晩年は頚椎を病んでいた為に、ほとんど震える手にペンを握って自分の記憶どおりに 他人の山との境界線と目印をしたためている  

それによると、この山を手に入れたのは昭和11年 祖父と父親はその急傾斜地に杉と檜を植えたらしい  
現在はもう国産のそれらはそれほどの値打ちのあるものではないが、子孫の為に植林と枝打ち、下刈りなどの山仕事に汗水流した先祖の苦労を無にはできまい 
不肖の我々ではあるが、なんとか先祖が守り抜いた財産を引き継いでいかねば、との思いである    
紀の川市役所建設課数名の若手と隣の山主(親類の老人)、大きな鎌を振り回して行く手の雑木を払ってくれる山師の爺さん、+我々2名で計7名、8名?で急坂を登る    

約1時間30分ほど山を歩きまわり、昼2時現地集合の頃は非常な暑さでしたがすでに摺鉢の中状態の鞆淵の山はすっかり日暮れて涼しい  

今日の山主氏は、ま とりあえず話のわかる人のようでしたが、もう一方の境界線は噂のたかいトラブルメーカーらしい   やれやれ・・・←うんざりのヤレヤレですよ  

ということで、次回の境界線争いは一波乱ありそうです 

 
婆誰坂の菜園きまぐれ日記 和歌山
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