2017/09/09 (土)
* 鞆淵では、さいきん地籍調査が行われ結果を閲覧してきた実家の者が「我が家の山林が認識している所有地とは違う場所になっているように思う」と言い出し、異議申し立てのできる11日までの間に実地検分に行きたい、 との事で誘われて行ってきました
鞆淵なる場所、もとは那賀郡鞆淵村、龍門山の裏になるエライ山奥の過疎の村 冬の寒さはひとしおとの事です 春になると決まって友人たちと山菜採りに足をのばしたものですが、さいきんはとんと行かんようになりまして いや、もうこんなキツイ坂よう登りません
ひさしぶりに、入った鞆淵村はどこも軽四のタイヤが道幅いっぱいいっぱいの山道で、昼なお暗い杉林の中にはバブルの頃に分譲別荘地として売り出し大阪、和泉方面からやってきたニワカお金持ちが建てたウッディハウスが急傾斜地にズラリ廃墟化し(屋根がばっさり落ちていたり) その残骸たるや鬼気迫るものがあります 一人ではとても居てられません、きっしょくわる〜(><)
以前は道沿いに田んぼがあって、あぜ道で地エビネが自然に咲いているのを見たんですが、今ではとてもとても 田んぼはどこもかしこも雑木で覆いつくされている
戦時中に実家の杉ヒノキを植えた山は世話をする人がいなくなってからは荒れ放題でドコが道やら境界やらわからん 昭和38年に建てた実家の材木はこの山の産でしたが、それ以後は山から伐り出す人手にお金がかかり 山を持っていても他で調達するほうが安くつく、という時代になり 林業は衰退の一途をたどることになる
神武景気とか所得倍増とか東京オリンピックに浮かれた民はこの頃から大事なものをなくしていきましたね
鞆淵の山からの帰りに、実家の山を管理してもらっていた家に寄って行こうということになり、KITAMINEの表札を一軒一軒探して回ったがわからず、山を出る最終の一軒で聞いてみたら すでに絶家となっておりました
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(1) 山中の道 携帯画像より
(2) こんな大きい木がどれて横たわっている
(3) なき親父殿が生前打ち込んだ黄色の杭 90歳を越えた老人が何十本と背負い自分の記憶を頼りに他人の山との境界線と思われる場所に打ち込んでいった跡です 子孫たるものあだやおろそかにできませぬぞ
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