2015/02/01 (日)
* えらいことになってきましたで どーします? 近所のシカ婆チャンが言うことにゃ「だいたいやね、いっちゃんさきにオバマはんに相談もちかけたちゅうのが気に入りまへんな。。。。」 ちょい、ちょい、そこまでそこまで^^;
今日も味噌作り忙しいんでっせ 本日は百田ファームキッチンの糀だす 「ももた」さんではありません 「ひゃくだ」さん 本当に田んぼを100枚ぐらい持っていそうな豪壮なお屋敷にお住まいでおうちで鶏放し飼いにしとられます 見るからにごうせもん(働き者)の奥さんちゅうかオバチャンが産直やっちょんに自家製糀と卵並べにきます
ベランダから眺める高野山や龍門山のあたりには今日も朝から雪のちらつきそうな重い雲が垂れ込めております
そうそう、歩こう会のメンバーと西高野街道を歩いた日もちょうど今頃のこんな薄ら寒い日でありましたわいな 高野山の麓の九度山の集落から玉川沿いに河根(かね)の集落を過ぎ作水(さみず)峠から高野山に登る旧道を往くと、 その途中にある黒石という大きな岩が日本最後の仇討があった場所でして、
昔は主君、あるいは父親の無念の死を家来、もしくは兄弟の手で晴らすのが美徳とされた時代があり、 それは明治になって禁止されるのですが、 その禁止令の直前に行われた仇討の場所がここ、 それはそれは暗いさみし〜い山の中でしたわ(一人ではよう行かん)
神谷(かみや)の集落のはずれにその討たれた仇全員(6名)のお墓が並んでいるのですが、(この辺では有名な『神谷の仇討ち』話) 仇を待ち伏せして本懐を遂げた者たちもその後ははたしてスッキリした気持ちになっただろうか、と思う 血で血を洗う残酷きわまりない仇討物語は近代まであったようです
今日の血も凍るニュースを聞いてふと心によぎった事でした
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(1) よそんちのHPから拝借しました
「黒石」付近 昔はもっと木が茂っていたし、通行の邪魔になる、ちゅうて片方の大岩取りのけよった
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