2014/12/16 (火)
* 紀南にお住みのmoriチャンの日記によく登場する「紀州の茶粥」 ご自分は火の国の女であらせられるゆえ「お粥」なんぞ めったに口にされぬそうですが、姑殿とご亭主殿の好物が茶粥だそうで、 これはこれは由緒正しい紀州人であるナ・・・と感じ入る次第
瑞穂の国の一端にありながら紀州はその大方が山岳地帯であり、稲穂の実る肥沃な土地となりますと紀の川平野ぐらいなものか その紀の川平野にても 一般庶民が三度三度 米のご飯を口にするのは昭和の御代になりましてもしばらく後で、 「お粥」の次は「麦ご飯」で、冷害とか旱魃の年はもちろんアワやヒエで飢えをしのいだらしい
とにかく、お米は貴重品であり なんとか「食い延ばし」&「食い繋ぎ」の為に必然的に発明?されたのが「お粥」であり、 紀州では親しみをこめて「おかいさん」と呼んでおります 我々の幼少の頃でさえ、朝と夜はお粥が普通で(米を作っていても)お昼だけご飯をよばれました お弁当はご飯を詰めてもらいました(かつらぎ町は農家が多いので給食は無かった 私ら世代は一回も給食を食べた経験がない)
中学の頃からですか、ご飯が常食になったのは^^ これはうれしかったですね(^^)/万歳でしたね
なんでこんなしょーもないことを今更思い出したかと言いますと、 何年ぶりかで幼な馴染みと町のスーパーでひょっこり出会いましてね、いろいろ話しましたがそのなかでもほっこりする話、
結婚した頃は夫婦共稼ぎしていたので農繁期で忙しくなると母親が手伝いに来てくれたそうな 「おかちゃん(お母さん)は、『お昼はなんにも用意せんでもええよ ちゃんちゃ炊いといてくれたらええ』と電話がくるんで いっつも炊いといた」と、 娘の嫁ぎ先に気兼ねしながら それでも手伝いに駆けつけてくれた母親に「ちゃんちゃ」かえ?と二人して笑ったけど・・・・
あのおばちゃんなら言いそうやな、とでっぷり肥えて見るからに人のよさそうな友の母を思い出した「紀州の茶粥話」でした
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