2011/09/05 (月)
* 朝9時過ぎに頭上をヘリの爆音が轟き、驚いて外に出れば自衛隊の2機が南西の方角に飛び去るのが見えた それ以後 終日ヘリのプロペラ音が響いていたよ
午後3時ごろ、国道では和歌山から五條方面に向かう自衛隊の「災害救援」の垂れ幕を掲げる5台のトラック部隊を目撃 一刻も早く駆けつけてやってくれ、と拝みたくなった
被災地(この地までこういう呼び名になろうとは。。。)は山深い奥地で道路が寸断されている為、救援物資も応援部隊も徒歩で山越えをして届けているらしい なんともはがゆい
幼馴染の一人に屋号が「十津川屋(とつかわや)」と言い、先祖が十津川の大水害(明治時代)に遭い 命からがら逃げ出してきて当地に住み着いたというのがいる なんせあの辺は秘境も秘境、地理的には「近畿の屋根」、口の悪いのは「近畿のチベット」と言うほどの所なのだ 日頃から水害の想定はなかったのかな・・・ 我々の居住地からだと紀南の新宮、勝浦方面に出るには和歌山の海岸沿いを大回りするより五條市から新宮、熊野に出る国道168号線、169号線の山間を縫う路線経由がなんぼか早い
万緑の中を走るドライブは爽快 しかし、いつも 一度は道路に転がる落石を横目にしヒヤリとするのだ これが早道の宿命だとしてもやっぱしこの道を選んでしまう
こんどの犠牲者のなかには林業に携っておられたかたもいると聞く こんなキツイ恵まれない仕事を一生の生業として父祖代々の山を守り抜いてきた代償がこれでは いかにもお気の毒だし、 こんなことで林業を継ぐ若手に尻込みされるんじゃないかと心配だ
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