2007/10/18 (木)
戦後、昭和27年から20年間に6万人の移民を神戸港からブラジル・サントスまで運んだ「あるぜんちな丸」と「ぶらじる丸」の名前を知っている人はどれ程いるだろう
私は中学生の頃、ラジオでよく耳にした そして、幼少時よく遊んだ友の隣家が一家を挙げて移住する事が話題になった 昭和33年の事である
まだ戦後10年余り、ようやく貧しさから抜け出せる希望がみえてきた日本、テレビが庶民も手の届きそうな値段で登場、わくわくしたもんだ そう、時代背景はまさに「三丁目の夕日」
あの頃、政府の推奨する移民策を信じて南米や中米に移住していった人達は想像を絶する苦難の道を歩んだと聞く 私の高校時代の一年先輩は、卒業と同時に文通相手の写真だけを頼りにブラジルに嫁いでいったのだ 嘘みたいな話だけど、昭和39年の事である 彼女は今どうしているだろう 幸せになっていればいいなぁ
そして、「日本列島改造論」を華々しく掲げたリーダーが、ブルトーザーで国じゅう掘り返してどんどんビルが建ち、どーゆーわけか日本がお金持ちになったような錯覚を覚えた
よごれた服を着て 額に汗して働くのが なんだか時代遅れのような気がして、颯爽とした身なりで街を闊歩する職業がカッコイイともてはやされる時代になった ここら辺から 日本が変わってきたのかなぁ。。。。
今日は自分の通った高校の隣の畑で柿採りをしながら、はるかな昔に思いをはせました
|