2006/08/09 (水)
今まで、「新しい農業」を指導する「農業普及員」(公務員)が、試みた「農に対する」指導は、ハウス栽培導入による、「促成栽培」が主流でした。
「メロン」や「イチゴ」など、ハウス栽培に力点を置いた指導が目立った。 確かに、「旬」を冬場にずらす事で、需要は拡大したし、今も拡大中かもしれない。クリスマスケーキに「イチゴ」が、乗っているのは「あたりまえ」のことですから。
「あたりまえ」を作り出すために、ハウス栽培では、重油を炊いて温度を上げて、栽培するのですよね。
「あたりまえ」を作るために、現場では「異常な資金」が、投入されています。
でもですね、「旬」を「旬」として、朴訥に生産する農業があるからこそ、「旬」をずらした作物が、脚光を浴びるのですよ。
資金力がある「農家」は、「農業普及員」の考えに、賛同した傾向があるし、そうすることで、「生き残れる」と考えたに、違いない。
原油高が忍び寄る昨今、「思惑」が、いとも簡単に崩壊する「ハウス農家」の、存在は、「農政の無力」「農政の短絡」が、露呈している。
「日本の食」を真剣に考えたとき、「姑息なやり方」を、指導した「農林省の無策」が、取り返しの付かない指導に、終始したことが、明らかとなる。
国に頼らず、独自に「路地作物を生産する農家」が、生き残る時代となってきたと思う。
「旬の作物」を「旬の時期」に食べる。至極「あたりまえ」のことが、今、「当り前」のこととして、見直されて、いい時期かも知れない。
北海道の酪農農家は、「牛乳」を廃棄処分している。 主導権を「農政にゆだねた」結果である。こんなはずではなかった!。
それが、現実です。
消費者にこびへつらう政策は、やがて、国を滅ぼします。 もう一度、いいます。 「旬の野菜」を「旬に味わう」ことを、ダメにしたのは、浅はかな消費者です。 もっと悪いのは、それに、こびへつらった農政担当者です。
おいら、いつも言います。「飽食の時代」が永遠に続くと、誰が言えますか?。
それを言うためには、生産者が、「額に汗して生産する」環境があればこそです。
環境を壊しながら、飽食だけを望むなら、矛盾もはなはだしい。
農道で、飲食して、ごみを放置する高校生。
稲刈りのとき、ビニール袋が、コンバインに絡みつき、故障するんですけどね
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