「日本の食料はどうあるべきか。」
2004/07/05 (月)

 平成16年(2004年)6月1日(火曜日)産経新聞より

「私の正論」  浅野秀治(東京都・地方公務員)・・・昭和24年1月東京都生まれ。55歳。國學院大學法学部卒業。東京都庁入庁後台頭都税務事務所長等を歴任。趣味はハイキング、パソコン、工作。2回の応募で前回佳作に続いての入選。

「日本の食料はどうあるべきか。」

生産性高める農業振興策必要

 『ローマ人の物語』の著者、塩野七生さんは、「為政者の役割は安全と食の保障に尽きる」と喝破している。ローマは、ナイル河畔の豊かな穀倉地帯を押さえ、膨大な人々の食を保障したが故に、長く地中海の支配者となりえたのである。江戸時代の日本は、約三百の諸侯によって支配される分権国家であった。当然、諸侯の役割も「人の安全と食の保障」である。干魃(かんばつ)、冷害、台風、噴火、ウンカの大量発生など様々な自然災害が容赦なく人々を襲った。例えば、天明年間の飢饉は、津軽藩や南部藩での餓死者がそれぞれ十万人にのぼるなど東北地方を中心に大きな被害を生じた。しかし、松平定信の白河藩、上杉治憲(鷹山)の米沢藩では藩主自らが領民救済の先頭に立ち、餓死者を出さなかったといわれている。

 津軽(青森)と白河(福島)では気候の差も大きいが、為政者の姿勢によって被害程度に大きな差を生じたことも事実である。今日、日本の食料自給率(カロリーベース)は年々低下し、主要先進国では最低クラスの40%まで下がっている。自由貿易が保障され、いつでも必要なだけ安全な食料が輸入されると錯覚しているとすれば、塩野さんの指摘を待つまでもなく為政者として失格である。日本人は、美食、飽食といわれる豊かな生活に恵まれているが、世界では八億人以上の飢餓・栄養不足人口が存在する。

 需給バランス崩れ奪い合いも

 つまり、世界全体では絶対的に食料が不足しているにもかかわらず、日本などの先進国が飽食を享受できる理由は、その経済的豊かさのおかげである。しかし、多数の人口を抱える途上国が次第に経済力をつけてくればこの現象は長く続かない。人口十三億の中国はこれまで食料自給を原則としていたが、湾岸部を中心とする急速な工業化の進展に伴い、大量の穀物を輸入するようになった。今後、内陸部の工業化が進んでくると本格的な食料輸入を始めるだろう。十億人のインドもやがて農業社会から工業社会へと転換する可能性が高い。中国やインドが日本と同様、食料を大量輸入するようになれば、世界の食料市場の需給バランスは大きく崩れ、奪い合いの様相を呈する恐れすらある。羽柴秀吉は、要害堅固な鳥取城を攻めるとき、まず、米を買い占めさせた。対する毛利勢は、敵の策謀とも知らず高値で売れるならと城内の兵糧米まで売却してしまった。そのうえで秀吉は、大軍で城を囲み、道路、海路のすべてを封鎖したのである。やがて城内は飢餓地獄となり、干丈(かんか)をまじえるまでもなく鳥取城は落城した。

 兵糧攻めは過ぎ去った歴史の遺物ではない。むしろ、今日の国際社会においては紛争解決の有力な手段として、武力行使よりも経済封鎖を選択する場面が少なくない。1973年秋、アラブ産油国は、対イスラエル戦争を有利に進めるため、アラブとの非友好国には石油輸出を禁止するという策にでた。

 日本では現実に石油輸入が止まる前に、スーパーからトイレットペーパーが姿を消すなど庶民生活は大パニックに陥った。石油備蓄が全くなく自由貿易体制に安逸していた日本は急遽、総理大臣特使を中東に派遣し、一も二もなくアラブに全面降伏した。1996年の世界食料サミットでは、「食料は政治的経済的手段として利用されてはならない」と宣言しているが、国際間の約束事は守られないのが常である。石油戦略と同様食料戦略が発動されないという保障はないのだ。日本の食料自給率の低い原因の一つは、国内の畜産でも、飼料の大部分を輸入に頼っていることにある。つまり、小麦ではなく大豆やとうもろこしなどの飼料輸入が止まるだけでも畜産業は壊滅状態となり、台所はオイルショック以上のパニックに襲われるだろう。その時、飢饉に有効な対策を打てなかった幕藩時代の指導者や兵糧攻めに敗れた戦国武将を笑えるだろうか。日本と同様の島国であるイギリスは、1970年代に40%台であった自給率を70%にまで回復させた。小麦など国内農業振興が功を奏したのである。日本は、その間、正反対に70%から40%まで低下した。

 幕藩時代の名君農政に手腕を発揮

 日本のとるべき食糧政策は、第一に、肉類や脂肪が多くなった食生活を反省し、水産物比重を高めるなど食生活の改善に取り組むことである。生活習慣病の予防対策にもつながり、一石二鳥の効果がある。第二に、狭い国土にふさわしい農業・畜産業の集約化、先端産業化を図り生産性を高めた農業振興策を展開することである。松平定信、上杉鷹山、保科正之など幕藩時代の名君は、いずれも農政に手腕を発揮した。やはり農業は国の礎である。

 
『畑のつづき』日記
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