帽子大丈夫事件
2006/04/10 (月)

古い畑の蕾を持ち始めたチャイブを新畑に移動。ついでに発酵油かすも新畑にばら撒く。畑に置いたままだったのでビニール袋は二重にかけてあったものの水を含んで臭い。大急ぎで鋤き込む。自然に息を詰めている。ふ〜。

寒い一日。今年の桜は長く楽しめる。一週間も満開に近い桜が咲いているのは記憶にある限り初めてだ。そのくらい寒いということなのだろう。

年末から年始にかけて入院していた私は、毛糸で帽子を8枚も編んだ。身内親族は言うに及ばず、友達にまで編んだ。誰かに上げようと思って編み始めたものだけでなく、手遊びに編んじゃってあげる相手をそれから探したものもあった。でも、今年は長く利用してくださった方もいるのではないだろうか。寒かったからね。

入院中、当初の六人部屋から二人部屋になって同室の人はぺルー人四世の人だった。25歳、日本語は流暢とはいえないが、お互いのたどたどしい英語と日本語で退院間際は挨拶程度はスペイン語でのコミュニケーション。彼女のお母さんが毎日のように来ていて、ペルーの肝っ玉母さんという感じの方だった。

お母さんも彼女と同じ程度の日本語力。私が編み物をしているのを見てその作品を「コレイクラデスカ?」と訊く。売るつもりはないので、そのことを言いもし欲しければ毛糸と編み棒がそろえられるなら編むと言ったのだが、ある日自分で編んだといってマフラーを持ってきた。フリンジのつけ方がわからないのでつけてほしいという。フリンジなら誰でも出来る。やり方を教えて「後はママがつけて」と言ってかえすと、全部つけて欲しいらしい。「こんなこと誰でも出来るのにな」と思い、そのことを英語やスペイン語で言えない自分。やむを得ず「私って人がいいな〜」と思いつつすべてつけて返した。

すると、今度は帽子を編んでほしいという。どうやら、同室のよしみで帽子にかこつけて何かお礼を考えているような気配も見え隠れ。「ダイジョブ、ボウシアンデ」とママは言う。同室の娘の方も「ダイジョブ」と言う。プロでないのでお金はもらうつもりもないし、セーターならともかく半日で編めてしまうような帽子ではとてもお金などもらえる気にもならない。入院した当初、休み休み編んでいた母のベストの編み方があまりに遅いので、六人部屋の他の方と比べて冗談混じりに「オソイネ〜」などと言っていたママ(笑)すごく不器用だと思われていたらしい。入院当初はあまり根を詰めることはしたくなかったし出来なかっただけなのだ。私の編み物の進み方は普通かやや早い方なのだ……と自分では思っている。

「ダイジョブ」が、例えヘタクソで遅くてもお礼は差し上げます、と言う意味か、そのくらいのお金は請求されても払うから安心して、の「ダイジョブ」なのか、両方ともなのかちょっとはっきりしないのだけれど、だからと言っておケチな私でも、てすさびの編み物、しかも帽子で同じ部屋に寝起きする人のお母さんからお礼をもらうつもりはないのだ。

ママは「ボウシ、ダイジョブ」(ボウチ、ダイジョブと聞こえる・大jobか?(笑))とくり返していた。私のプライドは言われるたびちょっと傷ついた。

結局、糸を勝ってきてもらってお好みのものを編んだけれど、かたくななまでに固辞していたことが出来上がる頃までにはわかったらしく、お礼はいただかなかった。

患者仲間にこのことを話すと、皆私とママの押し問答を面白がっている。ニヤニヤしている。う〜ん?

i0 (1) 手元に残っている帽子
(2)
(3)
 
コンポスタレディの菜園雑記
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