千ちゃんの家庭菜園作業メモ
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< 12月2012年 01月2月 >
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  予定表

    

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01/26 (木)  

病状   日誌(7)





24年 1月 5日(木) 外科・今年 1月 5日再度小さい癌が数個見つかり来週12日には再入院が予定されました・薬のせいだと思うが
5日に調子は良く6日は最悪で深夜に救急車かと思ったがやっと我慢。もう秒読段階で
6日には朝起きることも出来なかったが 1.5 時間後やっと少々おさまる。24年1月12日
再入院 今度の痛み止めの薬は便秘障害を起こし易いと聞いていました13年前に小腸の大静脈腐敗大手術・2日後再度の手術で小腸の
90% はなく以後合併症による肝硬変静脈瘤・手術以外・などの病気が併発し昨年
9月1日から今度は大腸癌で入院して良くなりつつ思っていたのに・又身体の弱っている所へ次々病魔に襲われ病気の方は前回の施術後遺症などの肝臓障害もあってもう抗癌剤も使用出来ずこれからもだんだん酷くなると思いますが又手術も何回もやっているし今度は彼方此方に多数散らばっているいるの当然で手術も出来ない。現在は
1月12〜短期入院ですがこれは癌治療ではなくて一旦痛みを和らげるだけの入院治療と薬療法となります。【看護計画票】
(診療科.外科)こんな科が有ることも知らなかった? 色々と書いてあるが全て省楽。
24年 1月13日(金) 昨日の日曜日の様子を見てまだ強いのと外に一種痛み緩和薬が増えまるで薬攻撃で私はただ受けて立つより方向が始様がない。病院ではその外にももう一種予定しているそうです。私も二カ月後の誕生日迄は何とか生存の目標を立てたいのだが・兎に角一日も今、現在よりも長く行きたいと願いつつ頑張るのみです??? この最終時間も愈愈と秒読み段階に突入しこの世存時刻も生きていて5,44,000秒となりました。   の窓から写した通院している市民病院ですが、これだけの距離しか有りません歩いて約
1.5km15分・車では5分ですがJR線路









を勝手横断で

写真 A 飲み薬は又もやドンドン増え続きました。外にはここ2〜3日前から胃液・胃焼けが以前よりも起きるようになりました。 の近道だと歩いても 7分程しかかかりません 病院の一階下がった部分の出っ張った板のように見えるのがヘリポートです。右手前が我が家の離れの小屋根です。 24年
1月14日(土) 入院以来痛みの緩和薬が二種類も増えた所へ今度は又便秘の薬が増えたとたんに、待望の便1号のお出まし、(私は便秘障害

ではないのでこれでまず) あと2〜3日は様子見と言う事になります。 24年 1月15日(日) 今度の入院は最初からこのよう超静か今日は日曜日だけに猶更
(私の部屋も最初から人1人部屋で大きな個室で特別室です) 入院日が決定して愈々お別れ誕生日までは無理を言わず絶対に生きるぞの頑張りで後何秒あるのか今度二度めの秒読みです。
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24年 1月16日(月) 1月16日 緩和ケア・幻覚症状が起きる12日入院以来、大部屋に一人のせいなのか深夜に人もいないのに声かけられたり昨夜趣味映像・尚痛み止めは少しずつ和らいでいるようで結構なことですが幻覚症状は強くなって来た感じです。入院以来づっと
(4人部屋もいきなりの満室となりましたが、直ぐに一人でて行き 3人です(大便普・通時の約半分)
24年 1月 1月17日 (火) 緩和ケア・幻覚症状が起きる12日入院以来、大部屋 (4人部屋もいきなりの満室となりました) 退院日の予定わされましたが、今度の病気は始めから治療するまでもただ痛みの緩和゛目的なので退院しても寂しい入院なのですんなのです。(20:00 やっと 3 回目の便が出て来る、医師に言うつもりだったが見合わす。 24年 1月18日(水) 今日は小便の調子は良いが、腸の動きが悪いためなのか??? 右の下腹がとっても痛い。 量は殆ど 0の状態だが少しずつお腹が緩んで来た。胃焼け 



24年 1月18日 (水)

 

1月19日
(水) 夕方やっと下痢発生し下痢止め薬を停止。                                                                    



1月20日
(水) 痛み気持ち悪い・便秘・最悪の退院歯医者キャンセル



24年 1月21日 (土) 【退院】アミノレバン各薬中止



24年 1月22日 (日)




1月21日 (日)









24年 1月17日(月) 1月22日






【】【】

月20日0時〜3月15日24:00迄の日数。12+29+140=56分3,60    ,344秒日

月200時〜3月15日24:00迄の時数。64日

月200時〜3月15日24:00迄の秒数。12日






1分間=60秒

1時間=3,600秒

1日間=8,6400秒

54日間=4,665,60秒

このパソコンが終了まで文字数がなりつつ臨終を迎えることになるでしょう。




aitane.gif  病歴
01/25 (水)  

23年10月 1日(土)体重2日前より10月 1日(土)体重2日前より


aitane.gif  無題
01/24 (火)  

病状   日誌(6)





0.3kg増えた感じだがこのまま上昇してほしいものです。(歩行数2,351歩) 23年10月
2日(日)退院近いのもあって医師も手術前の状態に完全に戻ったのですが、兎に角疲れが酷く100歩歩いても酷く
(今日は散歩数の減少2.510)) 23年10月 3日(月)(1難去って静脈瑠が痛み和らぎ今度は疲れがとっても酷く散歩中止(歯科へ行きたいのだが昨夜から発熱・氷枕使用一番大事な血の流れを良くする薬がなぜなのか??
 今度は効きすぎて当分中止) (朝から採血ばかりで試験台のようです) (今日も調子が悪く散歩中止)
(今日は採血 3回。点滴1本) (今週の退院を期待していたのだが、何故か悪く発熱のため悪くなった感じ)(体重測定日
50.5kg最低から約1kg増える)今日の俳便・早朝普通便二本昼とっても長い 0cmの普通便が出て3日悩んだのがすっきりしたのだが夜は又少々の下痢発生。今度は何日たっても熱は下がらず
(37.5〜38.2)で歯医者もいけず退院も出来ない状態で昨夜は尿瓶で尿取り・ 23年10月
4日 (火) 今日から解熱剤服用 ・(散歩中止) (解熱を飲んでもまだまだ熱が下がらず)
(見舞い客石川県から石村さん夫婦) 23年10月 5日(水) 手術から三週間目で退院予定日だったのだが、発熱のためそれも無理のようです。(今日は久しぶりに平熱
36.6度)これが一回だけでなく最低 3日以上つづかなければ ? CT検査し肺炎の有無を調べに熱が下がっているのに今度は朝から眩暈が発生・
(見舞い客中村(行奥さん) (3日振りの俳便あり) (又熱が出て来たようで氷枕使用)
(CT検査) 結果肺炎等異常なく良好 ・この調子だと明日院内の歯科へ行けるかもしれない)だがトイレに行くのにまだふらつきがある)
23年10月歯医者は診療するにもあまりにも酷いためなのか? 治療出来ないと言って尖がっている先を歯石の一部だと言って削って貰ったら大分楽になりました。
6日(木) 昨夜 0:00 分頃 ・熱が一度下がったためか急にふらつきや痛みも少なく体調良好となる。朝回診の時その都度知らせ試に息子が東京から休日度に駆けつけてくれるので、この
3連休に外出 ・外泊 ・又は来週かもしれないが申し入れた所一発で息子に起き立ちの寝ぼけものふらつきがあるものの退院許可が出ました。 23年10月 7日(金)昨夜トイレに行く際に
3回 起き立ちの寝ぼけも半分あって(ヨロヨロ)と隣のベットに飛び込みそうになった。 23年10月
8日(土) 38日目にして退院許可が降り退院。 23年10月 9日 退院後一日毎に幾らか身に感じて体調も良くなって来たようで(体重も入院前には
57.5kg だったのが入院中の最低は49.5kgと 8kgも減少したのだが、年齢のせいもあるのでその半分の
4k g程は戻ってほしいと期待していたのだが 23年11月 10日 定期通院診療で予想通り順調に体重
4kg 増と体調も良かったのだが??? この時分から又腹部の施術箇所が少しずつ痛くなって来た。主治医に伝えてレントゲン透視するも異常は見つからないのし今度も私がレントゲンで見付けられなかったのに私が発見した感じです、医師は術後の傷痛だろうといわれた。 多種類と沢山の薬の中に睡眠系もかなりあるらしいし起き立ちの寝ぼけも有ってフラツキになり待合室での順待ちの間でも睡魔が襲ってくることが何回もありました。だがその後も一日毎に痛みが増して(手術前よに痛くなったような気もする。)次の検診日は1月17日と(年末・年始も入るので大変長い期間で)有り難いと思っていたのだが 23年12月27日
外科 痛みの関係で検査日も改め今度は (M I 検査) やはり私の思った通り(癌が何個も散らばっているのでした)施術するにも三回が限度と言われており・私の場合も一回目
小腸腐敗による切除) (10%) 二回目再度腐敗で二日後に再施術 (80%切除で) 普通
6mあるべき小腸が 0.6m となっている、それと今度は複数の癌があちこちに散らばって発生しているので手術は出来ないし抗がん剤を使用しょうにも前回の手術いらい 13年もの間に薬の副作用で肝臓障害・静脈瘤・腹水などをを起している、そのため抗がん剤の使用も出来ないらし。兎に角二カ月余りの定期検査は一週間ほどになってしまいました。
 












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01/23 (月)  

病状   日誌(4)



 2
3年 9月 22日(木)大分良くなったのか昨夜21:00〜今日10:00頃まで一時的に点滴なし。食欲さえあればこれで終わる可能性もあるのだが、食欲が5%10%いやいや食べているので家からフルーツなど持ってきても少量しか食べられない。(これは元々野菜・おかゆなど)大嫌い・病院食となるともっと味気のないものなのです。その栄養不足分を点滴で補っているのです・先生に何時も言っているので、それなら明日から手術以前のご飯に戻し飲み薬も入院以前の状態に戻すことになった。下痢は昨日より少し多くて(12回)部屋はトイレの前の部屋を取って貰ったのでトイレまで5mしかない。淡は良いのか・悪いのかいままで殆ど唾のようだったが、今日から黄色みを帯びて来た。点滴のとれた間に院内散歩(500歩)夕食からは普通ご飯にしてもらったので主食は完食したのだが副食は(好き嫌いもあってほんの少々)だが再点滴なし。 深夜睡眠時に酸っぱい胃液が上がること(3回)あるもこれは以前の薬がまだ完全復活していないからだろう。   23年 9月 23日(金)今日は11日振りシャワー実施・やはり一日毎に快方に向かっているようです。 隣のベットの方が退院されたのを機に其の後(窓際の明るく広い場所に移動)下痢回数前日より又2回多く14回・見舞い客(良一夫妻 2回 1回) (駒野夫妻3回2回) (畠・家内が見に行った所ホウレンソウを一部収穫して)他の秋野菜は全て虫くいだらけて今週の秋野菜すべて栽培放棄。23年 9月 24日(土)患部の傷はまたまだし痛いがこれは日がたてば徐々に良くなるものとして、今は只下痢の方が最大の悩みなのです、その下痢が深夜1:20 から6.50迄なく後6:50を〜ピタット止まってやれやれと思った矢先に13:40〜再度頻発が始まりました。(結局最終には今まで小だけの場合はなかったが、今度初めて大・小に分けて書きます大9・小5回で初めて下痢が10回以下に減少しました。)

 23年 9月 25日(日)胆は水分を多く取るので喉の洗浄をしているようでほぼ解消し下痢も一日5回前後と減少したのだか(4〜5)日前から前回13年前もだし今回も手術の際静脈瑠防止の靴下で締め付けてあったのだが(歩いて運動しなければダメ)と言われても静脈瘤が痛くて歩けなく寝てばかり。見舞い川岸夫婦 2回 3回 。

 23年 9月 26日(月)14日振りの入浴。体重測定(入院当日9月1日)の-7.5kgにまで減少。
 静脈瘤対策として(左足に手術前後数日履いていた静脈用靴下) (右足は膝の直ぐ上なので)サポーター使用した所少し歩けるようになりました。明日から歩かなければならない。

23年 9月 27日(火)今日は患部はまたまだ痛いが凄く調子が良く歩数計を付けて歩いて見た。下痢は無く軟便菜が一回(歩数はトイレ以外で1,463歩)約 450m

23年 9月 28日(水)17日振りの外出許可術後二週間薬で抑えているのもありますが昨日から下痢も泊まり、朝医師に外出願いをした所一発でOK即外出して手帳に控えてあったメモをたどりながらこの記事をコピーしていま (痢回数) (9月19日.17回) (20日.17回) (21日.11回) (22日.12回) (23日.14回) (24日.9回) (25日.6回)  (26日.5回) (27日.1回) (28日.1回)とどんどん減少しました。(歩1,980歩) 23年 9月 29日(木)下痢は一昨日.昨日は一回だったので飲みにくいいやな薬(1種類一時中止して貰う)24日〜消化器内科の薬にほぼ統一されましたが(アミノレバン薬)は数年前から飲んでいますが゛これを飲むのが又大変(普通粉薬は一包1gですがこれは60gを水に溶かして.寝る前に飲むので深夜に下痢しやすくなるのです)(歩行数2,126歩) 体重49.5kgで3日前と変わらないが、これが最低であってまず0.5kgでも上昇したいものです。(病気以来の体重の多かったのは4月61.5kg・8月58.0kg・)だったので今回 49.5kgでは12kg〜8.5kgも減ったことになります。23年 9月 30日(金)朝の回診で来週あたり退院といわれましたが、それも月曜日の検査結果次第ですが・まだまだ痛い所だらけのヨチヨチ歩き部屋前のトイレ(4m)に行っただけでも疲れます。(下痢皆無)飲み薬は完全に元の消化器内科のものと同じになる。(歩行数2,360歩)と少しずつ増やしていますが、兎に角100m歩いても直ぐに疲れる。23年10月 1日(土)体重2日前より0.3kg増えた感じだがこのまま上昇してほしいものです。(歩行数2,351歩) 23年10月 2日(日)退院近いのもあって医師も手術前の状態完全に戻ったのですが、兎に角疲れが酷く100歩歩いても酷く (今日は散歩数の減少 2.510)  23年10月 3日(月)(1難去って静脈瑠が痛み和らぎ今度は疲れがとっても酷く散歩中止) (歯科へ行きたいのだが昨夜から発熱・氷枕使用 (一番大事な血の流れを良くする薬がなぜなのか?今度は効きすぎて当分中止)(朝から採血ばかりで試験台のようです。) (今日も調子が悪く散歩中止)(今日採血3回。点滴1本)
(今
の退院を期待していたのだが、何故か悪 23年10月 1日(土)体重2日前より10月 1日(土)体重2日前より


aitane.gif  無題
01/22 (日)  



病状   日誌(2 )



平成 23,年 8 月下旬 診察の結果即 【癌性腹膜炎】

 9月1日に入院の検査と言うことになり指示通り上記の (ワーファリン) は31日か〜停止し・
 

翌 1日午後に入院した。 23年 9月 1日午後 3時に入院 【入院診療計画書によると】(病名.腹痛症・肝硬変)
(症状.腹痛) (治療計画.検査の上治療計画を決定) (検査内容.採血の上、内視鏡検査や画像検査など)
(手術内容及び日程.検査の結果にて治療方針を検討) (入院期間は 1〜2週間) (その他)23年
9月1日〜 9月 6日血を流れやすくする薬 (ワーファリン) の代わりの薬.毎日皮下注射
2本・点滴 500cc栄養剤・採血・食事療法などで補足しなければならない。 23年
9月 6日下部消化管内視鏡予定・朝.昼食なし、下剤と

腸の洗浄薬 1.8L 飲む。お昼頃から飲み始め午前中に是部飲めと言う。普段なら絶対にこんなに飲めるはずもない。排便は看

護師が一回毎にベンの状況を確認に来るので嘘はつけない。約 10回目の排便と1.8L全部飲み干してやっと合格した。今日は  もう次から次と看護師が明日。明後日の予定や注意が来るが、際限ないので又明日から当日へ
?17:30 科が変わったためか再
度の採血・19:00息子・孫・剣下山から立ち寄り孫は夜行バスで帰京明日の日程・手術前日しょくじなし・15・20時に下剤服用・夕胃薬ふくよう(食事は訂正などあったのではっきりわからなすいが?)手術部の除毛・臍処置シャワー浴など。 23年 9月 13日昨夜21時に下剤を飲んだのだが小便が平生の 2倍あるも大便なし・今日からの担当及び執刀は外科医の小林先生13:00手術の説明・検査用の朝食>昼食は出たのだが先日と同じ下剤食なので手も付けなかった。【輸血300cc 2袋】輸血も肝炎やウイルスなど大変でその都度同意書など書
かされる。明日の手術に際しての説明。手術前の呼吸練習下剤 1.8L・陰毛処理.臍の掃除、この後シャワー。

13:00 家内と息子が同席し小林先生の説明・前にも述べたがこの手術は三回目で・一回目は13年前に小腸の一部(約 6mの所10cm切除)(二回目は 2日後10%を残して)切除しているで今度の手術は大腸の4分1切除で部分カットだと又付近がやられてしまのう。【写真添付】手術カ所は大腸の盲腸・上行結腸・横行結腸・下行結腸・s状結腸・直腸などからなるがその内の【盲腸・上行結腸・横行結腸とリンパ節の削除で】今日の説明ではこれは腸の中から見たもので外側がどうなっているか開いてみなければ分からないそうです。(17時頃明日の手術時間の連絡ある予定)(手術の時刻は 明日 9:30) し 23年 9月 14 (水) 深夜下痢便がドンドン出ましたが1.8Lの下剤がどうしても飲めず主治医に電話てもらってOKをいただいた。(夜8時一時間でも 6 回目の手術・ここからは暫く麻酔と集中治療室に数日入るので記憶の一部だけしか書けません。(収治療室に 1〜2日・その近くの部屋に数日)一般病棟に戻れるのは何日後か?護師が一回毎にベンの状況を確認に来るので嘘はつけない。約 10回目の排便と1.8L全部飲み干してやっと合格した。今日はも次から次と看護師が明日。明後日の予定や注意が来るが、際限ないので又明日から当日へ ?17:30 科が変わったためか再

    

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